魔女っ子（予定）少女　まなちゃん (21)

魔女っ子（予定）少女　まなちゃん

２１．不快指数１００＋α

「ハイキングに行きまーす☆」

部屋のドアが勢いよく開け放たれた。同時に響く元気な声。
僕がその方向に目を向けると、まなちゃんが学校から帰宅したそのままの格好で
立っていた。そして、あらためて宣言する。

「ハイキングに行くからね！」

さて、この一言だけでは、どういうことなのか良くわからないが、
その言葉は当然、この僕に向けてのものだろう。部屋の中に居た唯一の人物は僕だから。
ならば、適当に返事をしなければなるまい。

「へぇ。いいねー。誰と？」

「学校のみんなとだよ。今度の連休、全部使って行くの。」

まなちゃんから詳しく聞くと、内容はこんなものっだった。
それは、市内ＰＴＡの合同主催で、「秋の里山ハイキング＆地元のお仕事体験ツアー」
と題して有志が参加して行われるそうだ。
まなちゃんが通っている佐和都小学校の児童だけでなく、市内の他の小学校からも
参加者が集まる。
旅の中で各々の自立心を養うことも目的の一つで、基本的に親は同伴せず、PTA役員と
引率の先生、そして子供たちだけの旅行らしい。
ちなみに、３連休を全て使うので、後で代休が一日付くという。
ちゃんと先生方の労働基準も守られている。

「そっか。楽しみだね。気をつけて行って来なよ。」

学校行事なら僕は関係ない。連れ出されなくて済みそうだ。僕の労働基準も守られる。

「なに言ってんの、やっくんも行くんだよ！」

「ああ、そう…　って、ちょっと待て！」

彼女は僕を一緒に引っ張っていくつもりのようだ。が、ここまではよくあること。
予想内である。もちろん僕は思いとどまらせるべく説得にかかる。

「いや、それは無理だろ。」

「えー！　なんでよー？」

「いつかの臨海学校のときは、わかってくれたじゃないか。
　ほら、コビトの姿をした僕が誰かに見つかったら大騒ぎになっちゃうぞ。
　一日くらいならともかく、僕が３日間もずっと隠れていられる場所なんかないし…」

「んふふっ…」

「な、なんだよ？　まなちゃん？」

意味ありげな微笑みだった。
彼女が、すっと近付いてきた。
僕の身長の三倍をゆうに超える巨大な顔が迫ってくる。

「あるよ。」

「へ？」

「あるよ。　ずっと隠れてられるとこ。」

「それって、どこだよ？」

彼女の顔が更に近付く。僕の全身に湿った暖かい息がかかってくる。
そして、耳打ちするように囁く。

「あたしの、お・し・り☆」

「お…　尻ぃ！？」

「そう。ほら、ここ。」

まなちゃんは、くるっと向きを変えると、僕のほうにお尻を突き出してきた。
両手を後ろに回してスカートの裾を持って広げている。
さっきまで彼女の顔があった場所に、今度は、薄ピンクの無地のコットンで作られた
巨大な布が現われた。いま僕が居る場所は部屋の床の近くの低い場所だったため、
まなちゃんは膝立ちになって腰を落とし、僕の上空に座るような姿勢になっている。
頭上に広がるその光景を見るだけで圧力を感じてしまう気がする。
いや、気持ちの問題ではなく、実際に危険な状況なのだが、慣れというのは恐ろしい。
今、彼女がちょっとバランスを崩して尻餅でもつけば、僕はペチャンコになってしまう
というこの状況で、この冷静さは、いかがなものだろうか。
彼女に出会った頃の僕なら、まちがいなく腰を抜かしているはずだ。
僕の視野角いっぱいにまで広がったお尻は、まだ、ゆっくりと近付いてきている。
スカートのカーテンに包まれた薄暗い空間の中でも細部がくっきり見えるほどになった。
ショーツのクロッチの縫い目が少しほつれて毛羽立っているのまでわかる。

「まなちゃん…　おしりって…　ぱんつの中ってこと？」

「ちがうよ。もっともっと見つかりにくいとこだもん。」

「うっ。やっぱり、そこか…」

「そう。やっくん、ときどき入ってるでしょ？　あたしのおしりの中。」

たしかに、そのとおりではある。
まなちゃんが僕を隠して持ち歩く手段として、僕をテレポートで転送して
彼女の直腸の中に収めてしまうという手をよく使う。こうすれば、まず誰にも見つかる
心配は無いし、トイレなどでわりと簡単に出すこともできる。

（注：彼女のテレポートは一方通行で、しかも転送先が限定されている。
　　物を彼女の体外から体内に向けてテレポートすることは出来るが、
　　体内から体外に向けてのテレポートは出来ない。
　　従って、テレポートしたものを取り出すときは然るべき手段による必要がある。）

だが、それでは今度の目的には少し無理がある。
僕が彼女のお尻の中に長時間滞在するためには、生きていく上で必要不可欠な
呼吸の問題を解決する必要がある。
そして、その解決方法には、主に二通りの手段がある。
ひとつは『呼吸器具』を使う方法である。
彼女のお尻の穴に挿入して使う専用の呼吸器具を使う方法だ。
もうひとつは僕の『変身』である。
そもそも呼吸する必要の無いもの、たとえばビー玉などの生物以外のモノに
僕が変身する方法だ。
ただし、どちらの手段にも問題がある。
前者には、あまり長時間呼吸器具を装着したままにすると、彼女の直腸粘膜が乾いて
荒れてしまうという欠点がある。
後者には、僕が眠ると変身が解けて人間の姿に戻ってしまうという特性ゆえに、
もし油断して居眠りでもすれば彼女の直腸粘膜の中で溺れてしまうという欠点がある。
更に別の手段として「体内スーツ」があったが、連続使用限度は48時間…微妙だ。
そもそも、問題点が無かったとしても、三日間もお尻の中で過ごすのはつらい。

「あー　ダメダメ！
　そんなに長い間、入ってられるわけないじゃん。
　変身したって無理だし、アレは長い間使うのは良くないって知ってるだろ？」

「んふっ、そんなことしなくても大丈夫だよ。」

「ああ、体内スーツか？
　あれは、今、故障中なんだよ。いつ直るか、わからないなぁ。」

なんとか彼女を断念させようと、適当な出まかせを口にしてみる。

「いいえ！　それも使わなくていいよ。
　やっぱり、そのまま何も着ないで入ってくれたほうが気持ちいいし。」

「それが目的か…」

「え？　なぁに？」

「いや、べつに…　えーっと。それなら、まなちゃん、ちょっと訊くけど、
　僕は入れられっ放しじゃなくて何時間かおきに外に出してくれるってこと？
　だけど、今度の旅行は、みんなと一緒で、ほとんど団体行動なんだろ？
　変なことしてたら怪しまれちゃうぞ。僕のことがバレちゃってもいいのかよ。」

「ううん。ちがうよ。
　やっくんは、ずっと入ったままでいいんだよ。」

「だーかーらぁ、それは無理だって…」

「だったら、ね。試してみようよ。」

「試すって、何を…」

「えいっ！」

まなちゃんの軽い掛け声に合わせて、薄ピンクのショーツに包まれた巨大な
ヒップが、くいっと揺れた。その瞬間、僕の目の前が真っ暗になった。
それと同時に、大きな何かが出現し僕を取り囲んだ。
熱くてプヨプヨしてヌメヌメしている。

「わーっ！　なにを？　まなちゃん。うぐっ…ぶ…」

まなちゃんの得意技のひとつ、一方通行テレポート。
テレポートされたのは僕自身。テレポートされた先は他でもない。彼女の体内。
彼女のお尻の中だった。

そして、いきなりピンチ。息が出来ない。
そこに空気はほとんど無かった。いや、空気どころか、僕の周囲には体を動かせる
余裕すらなく、粘膜に覆われた直腸壁にぴったりと包み込まれた状態だった。
たまらず、僕はテレパシーで抗議する。

《まなちゃん！　冗談、やめろよー！　出してくれよー！》

《・・・・・》

なぜか、彼女からの返事はない。テレパシーがわからないのか？

《おーい！　息が出来ないよー！　死んじゃうぞー！　ひとごろしー！》

《・・・・・》

それでも彼女は沈黙したままだった。
この感じからして、テレパシーが通じていないわけではなく、
まなちゃんが僕の呼びかけを無視しているような感じだった。

そんなことより、このままでは本当に窒息してしまう。
ここは、僕の常とう手段『変身』を使う場面だろうが、少し考えて思いとどまった。
今のところ僕の肺にはまだ十分な量の空気が残っている。
いったい彼女が何を考えてこんな行為をしているのか不明だが、
何か理由があるのではないかと考えた。
僕をテレポートする前に、彼女は、僕が『この場所に長い時間居られるようになった』
ようなことを言っていた。それならば、息が続く限り我慢した方がよいのだろうか。
かといって、何もしないで待つというのも、彼女は望んでいないような気もする。
直腸の中は真っ暗闇だが、重力の方向から判断するに出口、つまり、彼女の肛門は
下の方にあるはずだ。少し考えて、無駄とは思うが、一応、暴れてみることにした。
腸壁を刺激すれば、僕の足下にあるはずの出口が緩む可能性も皆無ではない。
とにかくジタバタしてみた。両足を力いっぱい上下させながら（ほとんど動かないが）
上半身をよじりまくった（ほとんど動かないが）。
しかし、おおかたの予想通り彼女の括約筋は強力で、もじりともしなかった。

激しい運動には大量の酸素が必要だった。
僕の肺と血液中に蓄えられていた酸素が、たちまち底をつく。
向こう見ず過ぎたか。苦しくなってきた。本気で苦しくなってきた。

《まなちゃん！　マジ！　マジ死ぬ！　酸素っ！　空気くれっ！　空気！！！》

《はーい！》

待っていたかのように、彼女がようやく返事をしてくれた。

《まなちゃん！　はやく！　はやくしてくれぇ…》

《やっくん。ちょっと息してみて。》

《え？　だって、空気は、ちっとも…　お？》

空気があった。いつのまにか。
僅かだが、僕の顔の周りに空気溜りが出来ていた。
いや、ちょっとまて。
空気のように思えるが、この気体は本当に空気なのだろうか？
もしも、空気は空気でも酸欠空気だったら、一息吸うだけで失神し、そのまま放置すれば
あの世行き。その上、毒性ガスが混じっていたりするとどうなることか！
しかし…
とにかく、もう我慢の限界だった。僕は是非もなく半ば反射的に
その「空気のようなもの」を一息だけ吸い込んだ。

「う…ぶはっ！　・・・・・」

どうやら大丈夫らしい。

「はっ…　はっ…　はっ…」

短い呼吸を何度も繰り返した。頂点まで達していた息苦しさが徐々に消えてゆく。
場所が場所だけに、それなりのニオイは仕方ないとしても、
こんな場所にある空気にしては酸素が豊富に含まれているようだった。
まなちゃんがテレポートで送り込んでくれたのだろうか。

「ふぅ。生き返ったぁ。」

狭い直腸の中で締め付けられて相変わらず身動きできないが、息だけは自由に
できるようになった。

《やっくん、どう？　どんな感じ？》

《どんな感じって？　ああ、正直言ってクサい。》

《もう、そうじゃなくって、ほかに何か感じなかった？》

《いや、別に何も…
　それより、まなちゃん、いきなりこんなことして、ひどいよ！》

《ほらぁ。ね！　わからない？》

まなちゃんは、僕の抗議を当然のように聞き流す。

《わからないよ。それより、早く出してくれよ。》

《だめー！　わかるまで出してあげないっ☆》

《えーっ。何なんだよ。もう…》

出してもらえないとなると、再び酸素不足が心配になる。
僕の顔の周りにある空気は、あいかわらず僅かな量だった。

（ん？　まてよ、これは…）

少ししかない空気。これだけでは、すぐにまた息苦しくなってくるはずだった。
しかし、予想に反して、いつまでたっても酸素は減らなかった。
僕は普通に呼吸しているし、それであれば、もうとっくに酸素が尽きてもおかしくない
ほどの時間が経過しているのに、かえって空気が新鮮に感じられるようになってきた。
それだけではない、僕の顔の周りに僅かしか無かったはずの空気が、だんだん増えて
直腸を押し広げ、しばらくすると、僕が座っていれば頭が天井に付かないほどの空間に
なってきた。

《うーん、これは…　やはり…　あれだな。
　もしかして、まなちゃん、焼きイモ食べた？》

《なっ！　ち、ちがうもん！　そんなんじゃないもん！　やっくんのばかっ！》

テレパシーと一緒に大声で怒鳴る彼女の肉声が腸壁を通して僕の耳まで届いた。
まなちゃんは否定するが、お尻の中に湧き出てくる気体といえば、あれしかない。
ただ、常識で考えれば、醗酵ガスが酸素を豊富に含んでいるわけはないが、
彼女のやることは常識を超えている。
酸素を含んだオナラ。これが、彼女の新しい能力なのか？

《だってさ、他に考えられないぞ…》

《ちがうんだから！　ちがうんだから！　ちがうんだからっ！》

《でもなぁ…》

《もうっ！　やっくん。
　答え間違ったんだから、んもう、ぜったい、出してあげないっ！》

《わっ。ちょっと待って。まなちゃん。》

《ずーっと、一生そこで暮らすんだからね。
　やっくんなんか、あたしのお尻の中でウンチになっちゃえ。》

《わかった。僕が悪かった。僕が間違ってました。》

ちょっと、からかい過ぎたようだ。この辺にしておかないと後が大変だ。
それにしても、彼女がここまで必死に否定するところを見ると、もしかしたら
本当にオナラとは違うのかもしれない。
僕としても、オナラで生命維持されるような状況は願い下げだ。

《だったら、ちゃんと、まじめに答えてよね？》

《はいはい。》

しかし、実際、どうなのだろう。
まなちゃんが持っている能力から考えると…

《そうだなぁ。やっぱり、テレポートで空気を送ってくれてるのかな？》

《ブー！　残念でした。ちがいまーす。》

《えー？　嘘だろ？　違うのか？》

答えとして少し当たり前すぎたようだ。
彼女がテレポートで空気を送り続けてくれれば、確かに僕は長時間ここに居られる
だろうが、テレポートを続ける彼女の方は大変だ。実用的ではない。
それに、その程度で、彼女がここまで勿体付けるわけがない。

《正解するまで、そこから出られないんだよぉ。やっくん。》

《なんだよ。わかんないよ。そうだ、ヒント！　ヒントくれ。》

《しょうがないなぁ。えーっとね・・・・・じゃあ。はい、これ。》

何かが僕の前に現れた。そして、ポトリと落ちたのを感じた。
まなちゃんがテレポートで何かを送ってきたらしい。
あらためて言うが、ここは人間の直腸の中。光の無い真っ暗闇。
何が送られてきたのか目で見て確認することは出来ない。
さっそく手探りしてみると、すぐに、硬くて少し冷たいものが触れた。
それは小さな棒状の物体で、大きさと比較してずっしりとした重さが感じられる。

《何だ？　これ…　ペンライト？》

キャップらしきものを捻ってみた。
すると思ったとおり、光が放たれた。白色のLED光だ。
暗闇に慣れていた目に、一瞬、まぶしさが突き刺さる。
同時に、僕を包み込んでいる彼女の肉壁が明かりの向こうに浮かび上がる。
ピンク色で、滑らかで、てらてら光っていて、きれいな洞窟だ。
この場所にはよく来る（正確には「来させられる」）が、照明器具を持って
来ることはあまりないので、それなりに新鮮な光景だった。

さて、明かりがあると気分的にも落ち着いて良いものだが、目的を忘れてくつろぐ
わけにもいかない。いったい、ペンライトがヒントとは、どういうことだろうか。

《まなちゃん。ヒントって、これだけ？》

《そ。それだけ。やっくんなら頭いいからわかるでしょ。》

そう言われると、追加のヒントを要求しにくい。
まずは、今あるだけの材料で考えてみることにしよう。
ヒントとして与えられたのはペンライト。コビトである僕が使うために、
まなちゃんに頼んで縮めてもらっただけの普通のペンライトだ。
それにしても、どうやったらペンライトで空気が増えるのだろうか。
いやいや、まさか、そんなストレートな仕掛けであるわけがない。

（うーん。ペンライトと空気にどんな関係があるっていうんだ？）
　・・・・・・・？・・・・・・・！！・・・こりゃ違うな。
　・・・むー？？？・・・・ん！？・・・んんっ！！！・・・いや、無理か・・・
　・・（´-ω-`）・・・（。-`ω-）・・・・・（ﾟ∀ﾟ）・・・・（；￣д￣）ｍ
（だめだ。どう考えても結びつかないぞ。）

《どう？　やっくん。わかった？》

《ああっ！　もうっ、ちょっと黙っててくれよ。いま考えてるとこなんだから。》

《んふふ。あせってるねー。酸素、足りない？》

《ちくしょー！　十分だよっ！》

なんということか。情けない。こんな子供の出す問題に苦戦するとは！

（ん？　こども・・・）

そうだ。まなちゃんが出した問題なら、彼女のレベルで考えなければならない。
だとすると、子供が考えることである。まともな問題ではないかもしれない。
もしかすると、なぞなぞだろうか？

（ペンライト？電池？電球？光？ぴかぴか？つるつるハゲ…こりゃ違う、
　明るい？見る？診る？瞳孔検査？医者？お医者さんごっこ？って…何考えてんだ、
　ペンライト？ウルトラマンごっこ？変身？…ぺん？…ぺん…ぺん…ペンギン………）

いくら考えてもわからない。なぞなぞだとしたら僕のレベルを超えている。無理だ。
なぞなぞではないとしたら、他に考えられるのは…

「うーん。これで何かを照らして観察しろってことか？」

ペンライトで照らして見るといっても、
僕のまわりにあるのは粘膜に覆われた肉の壁だけだ。本当にそれ以外は何も無い。
いつもであれば、この場所に存在する可能性が非常に高いはずの「大腸の主（ヌシ）」
は、かけらも見当たらない。
それは、たまたま偶然、直腸内がキレイな状態だったと考えられなくもないが、
たぶん、まなちゃんが浣腸でも使って事前に掃除しておいたに違いない。
最初から僕をここに閉じ込めるつもりだったということがバレバレである。

それよりも、今は、まなちゃんが何を意図しているかを突き止めることだ。
彼女の性格から言って、ただ単に僕を自分のお尻の中で暴れさせて気持ちよく
なろうとしただけではないはずだ。（あー、でも、やっぱりそうかも。）
とはいえ、いくら首をひねって四方八方上下まで隈なく見回してみても、
やはりピンク色の濡れた腸壁以外は何も視野に入ってこない。

（いや、まてよ…）

何か、いつもと雰囲気が違う。
「いつも」という言葉がぴったりはまるほど、しょっちゅう僕はこの場所に来させ
られている。といっても、明かりを持って来たことはそう何度もあったわけではない
ので、見た目については曖昧な記憶しかないが、腸壁の色がいつもより赤い気がする。
肌色というには赤みが多い、鮮やかなピンク色をしている。
今日の彼女の直腸は、とりわけ活性が高いように感じる。それは蠕動運動が激しい
という意味ではなく、べつに腸壁に変わった動きがあるわけでもない。
動きではなく、腸の壁から発散されるオーラというか、何かエネルギーが感じられる
ような気がするのである。その気になってよく注意していればペンライトなどの
明かりが無くてもなんとなく何かを感じるくらい活き活きしていた。

「わっ！」

急に、直腸全体がぐらっと大きく揺れた。まなちゃんがお尻を動かしたようだ。
僕はそのとき座っていたが、それでもバランスを崩してよろけた。
思わず腸壁に手を突いてしまう。
手のひらと腸粘膜が触れたその一瞬、かすかだが、普通と違う何かを感じた。

（ん？　あれれ？　なんだ、これ…）

今度は、ゆっくり、そっと触ってみる。粘膜が、ぺっとりと手のひらに貼り付いてきた。
やはり手のひらに感じる。プチプチと何かが小さく弾けているようだ。
腸壁に顔を近づけてペンライトで照らしてよく見ると、表面に細かい泡が付いていた。
観察していると、その泡は粘膜の奥から湧き出ているようだった。
どうやら、これが、空気が増えた理由のようだ。
僕がここにテレポートされた直後は、僕の顔は粘膜に密着していたので、気づく機会は
最初からあったのだが、その時はパニクっていていたので、見逃したらしい。

《まなちゃん。　泡！　なんか、アワが立ってるぞ。》

《やっと気がついたみたいね。》

《なんなんだよ。これ？　っていうか、どうしてこんなことになってるんだ？》

《もちろん、あたしの新しい必殺技だよ。》

その技のおかげで、僕は新鮮な空気にありつけて生きているわけなのだから、
必殺という言い方は変だが、突っ込むのはやめよう。

《やっくんのために、一生懸命練習してあみ出したんだから。》

《そりゃ、ありがとう。でも、たしかに、すごい技だけど…》

《なあに。何かまずい？　やっくん。》

《うん。
　ここでね、僕がずっと息をし続けるには、まなちゃんのお尻の中に、
　ずっと空気を出し続けないといけないんだけど。
　ええっと。まなちゃん、わかるかな？
　息をするのに必要なのは酸素だけだけど、空気の中には酸素以外の
　気体もたくさん混じっているんだ。僕が息をすれば酸素は減るよね。
　だけど、ほかの気体は残るだろ。だから、そのうち、
　お尻の中の気体がどんどん増えていって、お尻の中が一杯になったら、
　やっぱりオナラみたいに『プー』って感じで出ちゃうと思うんだけど。》

《あ。それは大丈夫。
　あのね。学校の理科の授業で『動物の呼吸』を習ったの。
　肺で酸素を取り入れて代わりに二酸化炭素を吐き出すのよね。
　で、体の中で酸素や二酸化炭素を運ぶのが血液で、
　あたしのお尻の中にも血液が流れてるわけだから、
　肺でやってることの反対をお尻の中で出来たら…って思ったわけ。
　それでね。この技を思い付いて、練習したら出来ちゃったんだよね。》

《ほんとかい？　すごいな。》

そういえば、あれからかなりの時間が経つが、空気の容積は一定以上には増えない
ようだし、息苦しくなることもなく、気分が悪くなることもなく、普通に呼吸できて
いる。酸素を供給するだけでなく、僕が吐き出す二酸化炭素の吸収もしてくれている
のか。普通に呼吸できるということは、たぶん、窒素も適量混じっているのだろう。

ということは、
今、僕が吸っている酸素は、まなちゃんが彼女の鼻や口から吸い込んで、
彼女の体内を巡って来たものであり、
今、僕が吐き出している二酸化炭素は、また彼女の体内を巡り、しかるべき後、
彼女が吐く息と一緒に体外へ排出される。
なんだか、少し感動してしまった。

ちなみに、もし、テレポートで空気を入れ換える方法を使うとすれば、意識して
繰り返しテレポートし続けなければならない。それに対し、この方法だと、たとえ
彼女本人が眠っていても、無意識に自分の体の一部として直腸の内部にも酸素を
供給してくれるらしい。

《ところで、やっくん。結局、あたしが説明しちゃったけど、どうしようか？》

《どうって？》

《やっくんは正解できなかったってことだよね。だったら・・・》

それは無茶だ。腸壁から換気するなんて常識的に考え付くわけがない。
一時は、子供の視点になって、まなちゃんのレベルで考えればよいと思っていたが、
そもそも、まなちゃんのやることは常識で計れるレベルを遥かに超えているという
ことを忘れていた。

《いや、でも、泡が出てるのには気づいたよ？》

《だめだめ。そんなんじゃ、だめだよぉ。
　約束どおり、やっくんは一生そこで暮らしてね。》

《ムチャだー！　ゆるして…》

《な～んてね。冗談だよ。
　死ぬまで入れておいたりするわけないでしょ。
　たまには、やっくんの顔を見ながらお話もしたいし。》

《たまに…かよ？》

《そうだよ。やっくんは、あたしのお尻の中に住んで、
　あたしがその気になったときだけ出してあげるって、なんか楽しそう。》

《たのむから勘弁してくれ！》

《嫌なの？　だったら、そうだなぁ。
　あたしと一緒にハイキングに行ってくれたら、チャラでいいけど。》

《ああ、もう、わかったよ。行くよ。お供します。》

《わーい。やったぁ☆》

まなちゃんのしたたかな計画にはまったのか、偶然の成り行きでこうなったのかは
わからないが、今回は結局、彼女の希望を受け入れざるを得ないようだ。

何はともあれ、これで、僕は、まなちゃんのお尻の中で２４時間３６５日
「器具」無しで呼吸可能となったわけだ。
…が！
となると、やはり将来に若干の不安が残る。
彼女のことだ。冗談ではなく、僕をこのまま、ずーーーっと、彼女のお尻の中に
閉じ込めておくなどど言い出しかねない。
さっきの話ではないが、たまにしか出してくれないようになると非常に困る。
そうなったときのために、何か手を考えておかなければ…

《あっ！　そうだよ。まなちゃん。
　やっぱり、ここにずっと居るわけにはいかないよ。》

《え。どうして？》

《だって、ほら。まなちゃんだって、その…うんこ…するだろ？》

《もう。なに言ってんのよ。》

《だから、ほら。
　うんこするときに僕も一緒に押し出されちゃうだろ。
　だから、いくら空気があっても、結局、そう長くは居られないよ。》

そうだ。その手がある。
彼女がトイレで「大」をするときに、一緒に逃げ出せばよいのだ。
テレポートで連れ戻されないように、脱出したらすぐ何かスピードのあるものに
変身して飛んで逃げるとか、いっそのこと便器に潜っての水の中を逃げたほうが
確実かもしれない。

《だいじょうぶ。ずっと出さない方法があるから。》

《あるわけないだろ。》

《ほら、ずーっと便秘してたらいいと思わない？》

《よせよ。冗談じゃないよ。》

便秘のウンコは硬い。
そして、か弱いコビトと硬くて巨大なウンコが狭い直腸の中に同居したらどうなるか？
便秘のため排泄されないでどんどん溜まっていくウンコ。コビトに逃げ場はない。
コビトは凶悪なウンコに挟まれて押しつぶされ大怪我してしまうだろう。
軟弱なコビトだったら、すり潰されてウンコに吸収され、何も残らないかもしれない。

《うそうそ。もっといい方法があるんだから。ちょっと実験するね。》

《おい。何する気だ？》

《だから、実験だよ。あたし、ちょうどトイレに行きたくなったところだから。》

《トイレ？》

トッ・トッ・トッ・トッ・・・・・
速めの二拍子の揺れを感じる。まなちゃんが歩いているらしい。
僕は自分の体に感じる加速度の微妙な変化に集中する。
この感じから推測すると、部屋から出て…廊下を進んで…本当にトイレまで来たようだ。

その時である。何かの気配を感じた。その正体はすぐにわかった。
まなちゃんの大腸の奥から「巨大なもの」がこちらへ向かってくる。

《やっくん。準備はいい？》

《準備も何も、どうすりゃいいんだよ？》

《よく見てて、っていうか『しっかり感じて』かな。》

《勘弁してくれ！　あんなの、感じたくないよ。》

巨大な塊は、すぐそこまで迫っていた。
腸のトンネルを押し広げながらぐいぐい進んでくるのがわかる。
奥の方に見えていた腸壁の形が唐突に変化した。
それまでは奥に向かってなだらかに窄まっていた肉の中心が、むりっと盛り上がる。
その中心部から黄土色の巨大な物体が姿を現し、あっという間に迫ってくる。
ペンライトなどを持っているものだから、全てがハッキリと見えてしまう。

「うぐっ！」

巨大な塊の先端が僕の真正面にぶつかった。僕は肛門の方に向かって突き飛ばされる。
相手はそれほど硬くなかった。ウンコとしてはむしろ柔らかめだが、それでもコビトに
とっては、どうしようもない脅威だった。もうすぐ僕は、まなちゃんの肛門とウンコに
挟まれて、ぎゅうぎゅう押し縮められることだろう。
そして、ウンコの中に半分埋め込まれて肛門から押し出され便器に落とされるだけだ。
実際に体験してみればわかるが、ウンコに手足を取られてろくに身動きも出来ない
体勢で、便器に向かって真っ逆さまに落下するのは大変なスリルなのだ。硬い便器に
直接当たれば大怪我する。まなちゃんはクッション代わりにトイレットペーパーを
ふんわり敷いていてくれるが、それでも怖いものは怖い。

ところが、これまでの予想は全くはずれた。
最初にウンコの直撃を受けて僕が弾き飛ばされた後、突如、僕を取り巻く周囲の腸壁が
うねった。大きく波打ち、僕の体を巻き込んでいく。

「わぷぷっ！？」

ぬめぬめしたピンク色の腸壁は軟体動物のようにくねって、一瞬のうちに僕の体を
包み込みながら袋状に形を変えていた。僕をぴったりと取り囲んだ肉の壁。
その壁の向こうを巨大な塊がぐりんぐりんと通り過ぎていくのがわかった。
それからわずか二十数秒後、肉の袋が開いて僕を解放した。
僕は再び、元居た直腸内の空間に押し出されて転がった。

「あ…　あれれ？」

そこには何も無かった。
さっきまで大量にあったはずのウンコは、どこにも見あたらない。
ただ、独特の臭気だけを残して、きれいに消え去っていた。

《ねっ、ねっ、やっくん。どう？　感心した？》

まなちゃんが得意げに問いかけてきた。

《感心した…っていうか、あきれたって言うか、いったいどうなってるんだよ？》

《わからない？
　おしりの中で、やっくんとウンチをより分けて、ウンチだけ出したの。》

《いや、それはなんとなくわかるけど、
　僕が言いたいのは、どうやったらそんな芸当が出来るかってことなんだけど？》

《モチ、練習したんだよ。これもね。毎日毎日、思えばキビしい特訓だったよ…》

《おいおい、ほんとかよ？》

それが本当だとすれば、僕は彼女のお尻をまだまだ甘く見ていたらしい。
本来なら不随意筋である直腸筋をそこまで自由に操るとは。
そういえば、最近、彼女はトイレにこもったまま、なかなか出て来ないことが
ちょくちょくあったが、直腸筋と肛門括約筋の訓練を重ねていたとは恐れ入った。

《それでね、こうやって…》

《わっ！》

腸壁が再びうねり、僕を肛門の方へ押しやる。
押すというよりは、僕を包んだ肉壁がそのまま肛門の方へ移動していく感じだ。
滑らかに動いている。腸壁との摩擦はほとんど感じない。すごい技術だった。

『ぷりっ☆』

肛門の輪の中を少ししごかれながら通り過ぎると、僕は
自由落下する間もなく、すぐに彼女の手で受けとめられた。

「こうやって、すぐに出せるんだよ。
　だから、ね？　一緒にハイキングに行っても困らないよ。」

たしかに、これなら僕が彼女に付いて行っても楽に隠し通せるかもしれない。
それでも、やっぱり三日間もお尻の中で過ごすというのはキツイ。
付いて行く意味としても、テレパシーで彼女の話し相手になる以外には無いと思われる。
暇つぶしに何か持って行くか…

「ねえったら。やっくん、さっき、一緒に行くって言ってくれたじゃない！」

僕が考え込んでいるのを否定の意味ととったのか、まなちゃんの押しが続く。
すでに僕は、一緒に行くこと自体には同意しているつもりなのだが。

「あたし、一生懸命に練習したんだから。さくらんぼの柄結びも出来るよ。」

「えっ。サクランボが何だって？」

「見せてあげる。持ってくるから待ってて。」

「あ！　まなちゃん！！　ちょっと……………」

彼女が部屋を出て行く後ろ姿をローアングルで見送りながら僕は思った。

（あーあ。お尻丸出しだよ。
　部屋を出るなら、ぱんつくらい穿いて行けよなぁ。
　僕を出すときに脱いだままだったんだな。
　スカートで隠れてるからいいけど。でも、もしかすると確信犯かも…）

「おっまたせーっ！」

まなちゃんは無事に帰ってきた。家の中には他に誰も居ないはずなので
特に問題なかったようだし、ノーパンの件は忘れておいてあげよう。

彼女が持って来たのは、柄付きのサクランボ。シロップ漬けの缶詰のサクランボだ。
今は季節外れだから生のサクランボは手に入りにくい。
彼女は柄付きのサクランボを一つだけつまんで、白い小さな皿に乗せ、僕の前に置いた。

「よーく見ててね。」

まなちゃんは、サクランボをつまんで自分のお尻に持っていった。
そして、丸い実の部分を肛門に軽く押し当てた。

「えーっと。んっ…」

『むにゅっ…ちゅぽん…』

食べた。まなちゃんが下の口で、それも後ろの口でサクランボを食べた。
指で押し込んだのではなく、肛門がむにっと緩んでサクランボを吸い込んだように
見えた。まさに「食べた」という感じだった。

『もむ…もむ…もむ…』

肛門をもじもじさせながら、柄の方まで呑み込んでいく。
すぐに柄も見えなくなり、サクランボは完全に彼女のお尻の中に納まった。

「ふぅ…　っと。やっくん。見てた？
　ズルだと思われないようにテレポートは使わなかったよ。」

「いや、別に、それはいいけど…」

「本当はね、やっくんにも、さくらんぼと一緒に入ってもらって
　中で見てもらえたら、ズルでないってはっきりするんだけど、
　そうすると危ないからね。やっくんが怪我したりすると嫌だし。」

「いや、信じるから。まなちゃんはズルしない。　信じる！　ほんと！！」

まなちゃんが自分から「危ない」などと言う場合、
それは「非常に無茶苦茶極めて猛烈に地獄のように危険」と同義である。

「これからが本番だからね。もっとよく見ててね。」

「って、おいおい。まさか…」

まなちゃんは暫くの間、宙に目を泳がせながら「やっ！」とか「よっ！」とかつぶやき、
同時に腰をくねくねとひねったり、お尻をぷるぷる揺らしたり、肛門をもじもじさせたり
していたが、やがて満足そうに微笑んだ。

「はい、完了っと！」

まなちゃんは、くるっと反転してお尻を僕のほうへ向けた。
そのまま僕の上に座ってしまいそうな勢いだったので、思わず僕はしりもちをついて
しまう。大きな肛門が僕の目前にあった。大きいけど幼い肛門だ。まだメラニン色素の
沈着も少なく、桜色のきれいな皺が中心に向かってすぼまっている。
その肛門の中心が少し盛り上がった後、ぽこっと口をあけた。
中から何か押し出されてくる。サクランボの種のようだ。

『こつん』

それが、さっきの小皿の上に落ちる。皿の真ん中。狙いは正確だった。
続いて肛門から出てきたのはサクランボの柄。

『ぽとっ』

サクランボの柄は、見事に一重結びされていた。
ここまでにかかった時間が約３０秒ほど。
この間に、彼女はお尻の中で、
まず、サクランボの実と柄を切り離し、次に実の中から種だけを剥き出し、
柄に結び目を作ったことになる。
出来上がった「作品」を肛門から排出する時間を差し引くと、
彼女はもっと短時間でこれらの作業をこなしていたことになる。
ここまで出来るとは、あらためて驚いた。
これなら、さっき、直腸の中にウンコの小片すら残っていなかったのもうなずける。

僕は思わず感嘆の声を漏らした。

「すっ、すげー…」

「わーい。ほめられちゃった。」

褒めるというよりも、むしろ呆れてもいるのだが、
彼女が満足ならそれでよいのかもしれない。

「ね、やっくん。ハイキング、一緒に行ってくれるよね？」

「はいはい。わかってるよ。
　まなちゃん、がんばったしね。僕も多少のことなら我慢するか。」

まなちゃんの頼みという事もあるが、僕は彼女のお母さんからも「娘をよろしく」と
頼まれているのだった。子供の自立心を養うという今回のハイキングの趣旨には反する
が、保護者として付いて行くことにしよう。

「やったね☆
　それじゃあ、今度は、やっくんが練習しなきゃね。」

「え？　何の練習？」

「モチ、あたしの中で暮らす練習だよ。
　やっくんは、これから毎日、あたしのお尻の中で特訓だからね。」

「なー！？　毎日っ？」

「それからー
　夜も、あたしの中で寝るんだよ。
　やっくんが苦しくならないように、もっと上手に空気を送る練習をするからね。」

「うー。夜も？」

「それから、それから・・・」

これは、大変なことになってしまったかもしれない。

「あー、まなちゃん。やっぱり…」

やめようかなぁ…
僕がそう切り出そうとした瞬間、まなちゃんの顔色と声色が豹変した。

「んんーーー？　やっぱり？　何よ？」

「いや、べつに何でも…」（うひー！　こわいよー…）

「そう？」

まずい。話題を変えよう。

「あ、そうだ。さっきのサクランボ。
　あれ、種以外のところ、果肉はどうなったの？」

種と柄が彼女のお尻の穴から出てきたのは見たが…

「ん。ああ。
　まだ、中にあるけど、やっくん、食べる？
　それなら、やっくんも今すぐ中に入れてあげるよ？」

「いや、ちょっと聞いてみただけ。」

そんなもの食いたくないし、
うっかりしてサクランボのように剥かれてはたまらない。
彼女の盛り上がりと反比例するように、僕の心は沈んでいった。

∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽

今日はハイキング…（ええっと………忘れた）なんとかと称するツアーの初日。
朝早く出発してバスに揺られ、途中休憩を挟んで約２時間。
まなちゃんと僕は、もうすぐ目的地である野外活動センターに到着する…はずである。
彼女の服装は、クリーム色の綿のシャツに、上着は秋らしくベージュと赤と黒を
基調にしたチェック柄、上着と揃いのスカートを穿いている…はずである。
スカートは膝丈より少し長いセミフレアタイプで、その下には、おろしたての
白い綿のショーツを穿いている…はずである。

いい加減、うっとうしいのでやめよう。
なぜゆえ僕がこんな言い方をしているかというと、
野外活動センターに到着したのを、この目で確認していないからである。
彼女がこれらの衣類を着用した姿を、僕はまだ見ていないからである。
先ほど言った服装も推測に過ぎない。分かっているのは、昨日、彼女が旅行の
ために、どんな服を準備していたかということだけだ。

もうお分かりではないだろうか。
出発当日、朝の支度は慌ただしい。
そんな忙しい中では、しばしば忘れ物が発生する。
忘れ物をしないためにはどうすればよいか？
前の日までに準備しておき、当日はそのまま出発できるようにしておくことが
大切である。

「だって、やっくんだけは絶対に忘れたくなかったんだもん。」

そう。僕は、昨日の晩からずっと彼女の「中」に入れられっぱなしなのである。
そういうわけなので、外の様子はさっぱりわからない。
今の僕が外界の様子を知る手段は、まなちゃんとのテレパシー会話がメインである。
彼女のお腹の肉越しに外界の音も微かに聞こえてくるが、それも彼女自身の生体音に
かき消されてしまい、よくわからない。彼女の心音、血流音、呼吸音、肺の膨縮音、
消化管の蠢く音、筋肉や関節の動く音などが賑やか過ぎるのである。
まなちゃんの肉声は体内を伝わって僕が居る場所まで聞こえるので、彼女の話す内容
を聞けば、友達や先生とどんな会話をしているのかは想像がつく。
後は精々、重力の変化（強さ、方向、リズムや周期）といった情報に頼って、
今、どういった状況にあるのかを判断するしかないのである。

ところで、今、僕は裸だ。一糸まとわぬスッポンポンでころがっている。
理由はひとつ。彼女の中から僕が外に出されたとき困るから。
体は、直腸の粘液にまみれていても、洗えば簡単にキレイになる。
しかし、衣服は、染み込んだ粘液を簡単に落とすことは出来ないからだ。
素っ裸でも、彼女の体内に居れば寒くはないが、なんとなく頼りない気がする。
特に下半身の突起物あたりが…

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《あっ。やっくん。着いたみたいだよ。》

《ん。そう？》

ドルルルルルルルルルル・ルッ・ルッ・ルッ・ルッ・ルッ・ルッ
大型バスの重々しいディーゼルエンジンの振動がアイドリングになった。
しばらくして、まなちゃんが腰を浮かせ、歩き出すのを感じた。
彼女がお尻を座席から離したため、僕の所まではっきり伝わっていたエンジンの
振動が、ふっと小さくなった。

ここは「御知山野外活動センター」。いわゆる少年自然の家である。
ここを拠点に二泊三日で社会勉強を兼ねたレクリエーションを体験するわけだ。
たしかプログラムには、ハイキングの他に、炭焼き見学、陶器作り体験、
牧場見学＆チーズ作り体験などがあったと思う。

今回のツアーには、まなちゃんが通っている小学校の児童だけでなく、他校の児童も
多数参加しているはずだ。知らない人と一緒でトラブルにならないか少し心配だが、
人数が多いということは、まなちゃんと僕にとっては都合が良い面もある。うまく
まぎれてしまえば、少しくらい怪しい行動をとっていても目立たないかもしれない。
まなちゃんには、とにかく、目立つ行動は絶対に避けるように念を押してあるが、
果たして無事に最終日まで乗り切ることができるだろうか。

バスを降りて点呼をとった後、行事はPTA役員の挨拶から始まった。

「ふぁぁぁぁぁ～」

まなちゃんの大あくびがここまで聞こえてくる。
無理もない。お偉いさんの話はムダに長いことが多い。
ありがたいお話が終わったら、引率の先生から注意事項の説明を受け、
施設内を一通り案内されて各々の説明を聞き、再びもとの広場に集まった。

「ところで皆さん、時計は持って来ましたね？　忘れた人は居ませんか？」

「はい。大丈夫ですね。
　前にも言いましたが、これから三日間、皆さんは自分で時計を
　見ながら行動してもらいます。自由時間もたくさんありますが、
　一日に何回か決められた時間があります。
　プログラムに赤い字で書いてありますね。
　その時間になったら、それぞれ決められた場所に集まること。
　自分でスケジュールどおりに行動できるように頑張りましょう。」

「それでは、今から３０分間、自由時間です。
　１１時になったら、またここに集まってくださいね。」

先生が話し終えるのを待ちきれない子供たちがフライング気味に駆け出す。

ちなみに、
まなちゃんの中に閉じ込められている僕には、先生の声は聞こえないし、
子供たちの様子も見えないが、それでは話が進まないので、普通の表現で
やっていくことにする。（一人称語りのツラいところだ。）

《やっくん。自由時間だって。》

《へー。何するの？》

《一緒にいろいろやろうよ。
　やっくんも、そこにずっと居るの、退屈でしょ？》

《出してくれるのか？
　それは嬉しいけど、でも、僕が誰かに見つかっちゃったらヤバいだろ。》

《あたしの胸のポケットの中に居れば大丈夫だって。
　危なくなったら、すぐにテレポートしてあげるから。》

まなちゃんは、いそいそとトイレに向かった。
個室に入ってドアに鍵を掛け、しっかりロックされていることを確認する。
ポケットティッシュから３枚を抜き取り、広げて重ね合わせ、一旦それを口にくわえて
両手をフリーにする。長めのスカートが邪魔になるので前屈みになって下から両手を
突っ込んでたくし上げ、それを左手でまとめて保持する。立った姿勢のまま右手で
ショーツを少し下げ、準備しておいたティッシュペーパーをショーツの底に敷き、
そしてまた元通りショーツを穿き直した。これで準備完了。
あとは僕が肛門をくぐって搾り出されるだけである。
こうすれば、腸粘液や便のかけらで下着を汚すこともないし、周囲がショーツでガード
されているから、肛門から排出された僕を受け止め損ねて下に落とすこともない。
これは以前、彼女が考案した方法である。
ちなみに、準備完了後であれば、基本的に、人前で僕を産み出しても問題ない。
ショーツをきちんと穿いてスカートを下ろしてしまえば彼女の外見に変わったところは
見られないし、彼女のお尻から出てきた僕はそのままショーツの中に隠れておけばよい
からである。ただし、立った姿勢とか椅子に座った姿勢だと肛門が締まって開きにくい
ので、僕を出すときは必ずウンチング・スタイルをとる必要があるため、彼女としても
積極的にやりたい方法とは言えず、特殊な事情がある場合を除いては使うこともない
だろう。
今回は、僕を出した後、きれいに拭いて、胸ポケットに入れるという作業があるから、
全てをトイレの個室の中で済ませなければならない。

《やっくん。いま出してあげるね。》

直腸の動きが大きく速くなり、うねうねと波うち始めた。
内部のコビトとそれ以外のモノを正確に選り分け、コビトだけを肛門の方へ送り出す。
正確にコビトだけ…といっても、少しは粘膜のネバネバが絡んで付いてくるが、
ショーツの中に敷かれたティッシュペーパーが、汚れ移りを防いでくれるはずである。
やがて僕の体は空気とも分離され、完全に直腸の肉で覆われて呼吸も出来なくなる。
彼女の下腹の内圧が少し高くなり、僕の体をムニュムニュ圧迫しながら肛門の内側に
押し付けた。僕の頭が肛門に当たると同時に、固かった括約筋がすっと緩む。
僕の体は肛門の輪をくぐり、気を付けの姿勢で頭から、ゆっくりと搾り出されていく。

およそ半分弱。
僕の頭から胸のあたりまでが彼女の外へ、つまり、彼女のショーツの中の空間へ出て、
久しぶりの外気での（といっても、ぱんつの中での）呼吸を、僕が味わっているとき
だった。

『コン！　コン！』

突然、トイレのドアが外からノックされた。

（ひゃっ！？）

まなちゃんは、不意のことに驚き、思わず全身を硬直させた。
当然、肛門括約筋も…

「うぎゃっ！」

僕は彼女の肛門に『ぎゅっ！』と挟まれて悲鳴を上げた。
小さなコビトのか細い悲鳴だが、テレパシーではなく、普通の肉声だった。
ドアの外に居る誰かに聞かれたかもしれない。

《やっくん！　黙って！》

まなちゃんのテレパシーが飛んだ。
それと同時に、彼女は手のひらでお尻を押さえた。肛門の締まりが一段と強くなる。

《ぐえーっ！！！》

僕のテレパシー悲鳴。今度は遠慮なく悲鳴を上げさせてもらった。
彼女のお尻の穴の中で僕の胴体がギリギリ締め付けられる。

《早くっ！　引っ込んでっ！！！》

さらに、パニクった彼女は、僕を指で強く押さえつけてきた。
僕の頭が、彼女の下着＋ティッシュペーパー越しに、巨大な指でグイグイ押し付け
られている。冷静に考えればその必要は無いのだが、僕をお尻の中に押し戻そうと
彼女は必死になっている。それとは逆に、直腸は僕を押し出そうとする動きを続け
ている。腹圧も高いままだった。
その結果、僕の体は、あらゆる方向から強い力で押し縮められた。
僕の得意技の「変身」を使う余裕は無かった。テレパシーで彼女に話しかける余裕
すら無かった。とにかく潰されないように踏ん張るだけで精一杯だった。

肛門に挟まれた肋骨がきしむ。
指で押し付けられた首が捻じ曲がる。

《！！！！！＠☆§Д∞…》

テレパシーで悲鳴を上げる余裕すらなくなってきた。
気力を最大限に振り絞らなければ。負けたら潰される。

『コ・コン！』

あせりながら、まなちゃんは、ようやくノックを返した。

「・・・・・・・・・・ふーっ…」

彼女のため息と同時に、僕は拷問から解放された。
液体が垂れるように僕の体はずるっと滑り落ちた。
そして、彼女のショーツの中に敷かれたティッシュペーパーの上に力なく横たわる。

その後、僕は彼女の下着の中から出ることなく、再び彼女の直腸の中に戻された。
そのまま、安静を余儀なくされることとなる。

∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽

《やっくん。御飯だよ。》

まなちゃんの凄まじい肛門パワーにノックアウトされたのがお昼前。
それからかなりの時間が経過し、今はもうとっくに日が暮れていた。
僕は結局、あれから何も出来ず、ずっと彼女の直腸の中で節々の痛みに堪えながら、
静かに横になっていた。彼女はテレパシーで謝りまくりだった。はじめの頃は僕も
痛みや苦しさで余裕がなくて生返事をするのがやっとだったが、今では、たっぷり
休んだおかげで、体調はほとんど元通りまで回復していた。
酷い目に遭ったが、体力は消耗したものの、特に目立った怪我をしなかったのは
幸いだった。
そして夕食の時間。

《おう。待ってました。》

あの騒ぎの後、動く気力が全く残っていなかったため、僕は昼食を抜いてしまった
のである。結果、今の僕は空腹絶頂だった。今すぐ、彼女のお尻から外に出して
もらって、彼女がこっそり確保してくれていたはずの食事にありつきたい。

《それでね。あたし、考えたんだけど。》

《よし。よく考えた。だから、早く外に出してくれ。》

《やっぱり、家で練習するのと、よそでやるのとは全然違うってわかったのよね。》

《うん。わかったか。偉い！　偉いから、外に出してくれ。腹へって死にそう。》

《だから、もう、やっくんを外に出さないことにするよ。》

《そうか。外は危険だからな。
　って…え？　まなちゃん、今、なんて言った？　出さない？　僕を？》

《ごめんねー。》

《じゃ、メシは？　もしかして、家に帰るまで食わせない気かよ？》

《ご飯は・・・仕方ないから、こうするね。》

『ドドド・ド・ドーッ！！！』
「うわっ！　何だ？　何だ？」

大量の物体が僕の前に現れた。前だけでなく、上にも…下にもだ。
一瞬の間に僕の体はその中に埋まってしまっている。
まなちゃんがテレポートで何かを送ってよこしたらしい。

《まなちゃん。もしかして、これ…》

《うん。晩御飯だよ☆》

彼女は、あっさり言ってのけるが…

《僕にここで食えと？　『この場所』で？》

《そうだけど。だめ？》

《いや、だめって言うか、そもそも…》

《ごめんなさい。だけど、あたし、ほかに方法、思いつかなくって。》

ここは直腸の内部で、ウンコの通り道で、大腸菌がわんさか蔓延している。その中で
食事せよと言うのか。しかも、これらの食べ物は容器に入っているわけではない。
直腸壁にも直接触れ放題になっている。

たしかに今は、彼女の直腸内にはウンコは全く無い。
僕が中に居るとき、彼女は腸の動きをコントロールして、大腸の中を進んでくるウンコ
をＳ字結腸あたりでストップして溜めておき、直腸まで進入させないようにしている。
溜まったウンコはトイレで排泄される時にだけ直腸を通り抜けていく。
彼女がトイレで用を足す間、僕は彼女の直腸のヒダの中に巻き込まれて守られており、
ウンコに直接出会うことはない。
だからといって、ウンコと同じ場所に触れた物を食べるのは抵抗が大きすぎる。
さらに、どうしても残るこのニオイ。彼女はその事を全力で否定しているが、
この空間には少なからず彼女のオナラが混じっているはずだ。
ウンコとオナラと腸粘膜の臭い。今また、それに色々な食べ物の匂いが入り混じって
ビミョーに危険でビミョーに凶悪でビミョーに不思議な臭気を放っている。
その妖力は、ファ○リーズやキ○コで太刀打ちできるレベルではない。
おまけに無数の大腸菌である。

ここは、やはり、まなちゃんを説得して、外に出してもらうべきか。
しかし、あまりに空腹すぎて、落ち着いて考えられなくなってきた。
そんな悪いコンディションの中で彼女を説得する「多大な」手間を思えば、
あまり良い案とは思えなくなってきた。

考え込むこと数十秒。
僕の腹は、僕の食欲は、その他の僕の全ての感覚と感情に勝っていた。
これだけ食べ物がたくさんあれば、きれいな所だけ選んで食べることが出来る。

《いただきます…》

食べ物は、うまかった。
空腹の極致だったので臭いもそれほど気にならなかった。
この際、多少の汚れも気にしない。
これから先、生き残るためにも、しっかりと食べて体力を付けておかないと。
事実、昼間の「事故」の時も、体力があったから潰されずに済んだのである。
とにかく食って食って食いまくった。
そして、食べてばかりいると喉が渇いてくる。

《まなちゃん。何か飲み物を…》

そう言いかけてから後悔した。取り消す暇も無かった。

《はーい。》
『ドザザザーッ！！！』
「うわっぷ！　がぼ！　げぼ！」

まなちゃんの返事と同時に大量の麦茶が現れた。
そして、一瞬で直腸内を満たす。
食べ物と麦茶が混ざり合い、ついでに腸粘液も大腸菌も、直腸の中のあらゆる物が
混ざり合い、もちろん、その中に居た僕自身も一緒に混ぜ合わされ…

『　　　ぷくん…　　　こぽん…　　　』

「ぶはっ！」

僕は、直腸腔の上部に辛うじて残った空気の泡を探り当て、頭を突っ込んだ。
そして、荒い息をしながら心でつぶやく。

（もう、かんべんして。まなちゃん…）

外の世界も危険だが、やっぱり、まなちゃんの中も危険だった。

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二泊三日のハイキング旅行。PTA主催だが学校行事のようなものだから、
夜はもちろん、みんなで合宿である。
合宿といえば、消灯の後が本番…とまでは言わないが、布団の中にもぐって、先生の
視まわりをやり過ごしながら、仲良し同士でひそひそ話しするのも楽しいものだ。
しかし、そのおしゃべりタイムも、それほど長くは続かない。
みんなそれぞれ話したいことはたくさんあるのに、昼間の疲れも手伝って、
一人・二人と力尽き、深い眠りへと落ちていく。
まなちゃんも例外ではなく、消灯からそれほど経っていないのに、僕がテレパシーで
呼びかけても答えが返ってこなくなった。僕の唯一の話し相手である彼女が寝てしまう
と、こんな場所に閉じ込められていたのでは他にすることも無く、少し早いが僕も寝る
ことにした。
夜は何事も無く過ぎてゆく。
静かだった。
といっても、実際は、僕の宿主である彼女の生体音がかなりの音量で聞こえているの
だが、もう慣れてしまって全く気にならない。むしろ心地よかった。
ごぅーん………ごぅーん………と、遠くから聞こえる海鳴りのような呼吸の音。
さーーーーー…と、そぼ降る春雨のような血流の音。
くぷっ、ぬちゅっ、きゅろるるーん…と、時折聞こえる消化管の不思議な音。
そして、ごっごっ…ごっごっ…ごっごっ…と規則正しい心臓の音。
それらの音も、彼女の眠りが深くなるにつれ、徐々にゆっくりになり、
こころもち小さくなっていく。
まなちゃんの音を全身で感じながら、いつしか僕も…

∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽

レポート「長時間にわたる直腸内生活が人体に及ぼす影響」
報告者　稲葉康博
被験者　稲葉康博（験体）、河合魔奈（宿主）

【居住環境】
　　（１）外部と物理的に隔離された空間。
　　（２）外部との連絡手段は宿主とのテレパシー会話のみ。
　　（３）物品は一切持ち込まない。ただし、食料および空気は供給。

【結論】
　　問題あり。単純な直腸内生活はあらゆる面で人間をだめにする。

【験体による手記】
　　ここに閉じ込められてから２時間ほどで体がふやけてしまった。
　　湿度が１００％というか、濡れっぱなしというか、
　　とにかく皮膚がぶよぶよになり、柔らかくなった。
　　このままここに居たら溶かされるのではないかと思ってしまうほどだ。
　　水に濡れた場合と比べて明らかに違う。
　　腸の中に分泌されている酵素の類の影響かもしれない。それが直腸から
　　分泌されているのか、大腸の方から流れてくるのかは不明であるが、
　　もしかすると、直腸にも消化機能が備わっているのではないか。
　　そして、もう一つ困ったことがある。
　　外部と隔離された真っ暗な空間に長時間滞在すると、時間の感覚が無くなる。
　　それだけならよいが、体内時計も完全に狂ってしまう。
　　夜ともなく昼ともなく、うとうとしている。覚醒度の低い状態が続く。
　　まなちゃんのテレパシーにはちゃんと受け答えしてはいるが、
　　半分眠っているような起きているような中途半端な状態に陥ってくる。
　　今日も、朝から、よく目が覚めていない状態が続いている。
　　テレパシーで、まなちゃんの話し相手をしつつ、だらーっと過ごし、
　　腹が減れば「くさい飯」を食べて、また、でれーっと過ごす。
　　いずれにしても、直腸内生活は、あまり健康には良くないに違いない。

∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽

合宿二日目。
当たり前のことだが、事故は突然やってくる。

まなちゃんのお尻の中で、うとうとしていた僕だったが、妙な揺れを感じ始めたと
思ったら、僕の周りを取り囲む壁が激しく収縮を始めた。
それが何かを判断する間もなく、僕の体は強く締め付けられた。
その直後、不意に、無重力感。
そして、一瞬感じた光の眩しさと空気の涼しさ…
次の瞬間、僕は激流の中で揉みくちゃにされていた。しかも真っ暗闇だった。
言葉にすると長いようだが、異変を感じてからわずか４秒か５秒ほどで今に至っている。
僕が居るのは、すさまじく激しい流れの渦の中で、冷たい水の中のようだった。
何が何だかわからないまま、めちゃくちゃにかき回されている。
水流に翻弄されるだけでは済まなかった。
僕の体は、硬い壁のような物に強く叩きつけられた。ゴツン、ガツンと何度も何度も。
まちがいなく命の危険にさらされている。水の中だから普通に悲鳴をあげることが
出来ないので、とりあえずテレパシーで叫んでおく。

《うぎゃーーーっ！！》

まなちゃんからの返事は無かった。
早く安全な何かに変身しなければ死んでしまうかも…と思ったが、その必要はなかった。
流れが激しかったピークは最初の数秒で、その後は徐々にではあったが緩やかになって
いった。

（くぅぅ…　痛ってぇー…）

数分後、僕は相変わらず真っ暗闇の冷たい水の中にいた。
水の流れはどんどん遅くなり、やがてどんよりと停滞してきた。
はじめの激流の中でグルグルかき回されたせいで目が回っていたが、
今では少しずつ上下の感覚が戻ってきた。

（そろそろ息継ぎしたいなぁ。）

まなちゃんという小悪魔の女の子と付き合っていく中で、
僕の「息を止める」という基礎能力は格段に向上していた。
覚悟して臨めば普通でも３０分くらいは呼吸しないでいることができる。
しかし、突然のことで、前もって十分な空気を吸っておくことが出来なかったり、
準備していても、激しい運動などをすれば、その分タイムリミットも短かくなる。
今回も、そろそろ苦しくなってきた。
僕は泳いで上の方へ向かいつつ、一抹の不安を感じていた。
もし、上へ行っても水面が、空気が無かったら…
この空間が密閉されていて水で満たされているならば呼吸は出来ない。
といっても、その時はその時で、水質を見て大丈夫そうならば魚にでも変身するか、
最悪でも、呼吸の必要がない『物』に変身すれば大丈夫だ。
そうしておいて、今後の対策をゆっくり考えればよい。
結果はすぐに出た。
真っ暗で水面は見えなかったが、水をかく手が急に軽くなった。
そこが水面だった。

（さてと。どうかな？）

水面から頭を出し、そこにある気体を少しだけ吸ってみる。
酸素はあるか？　毒性は無いか？
しばらくしても体調に変化は無い。
今度はもう少し多く吸ってみる・・・・・・・・・・
どうやら、大丈夫のようだ。

「ぷはっ！」

確かに空気はあった。しかし、ひどい臭いがする。
腐敗臭、カビ臭、排泄物のような臭い…要するにドブくさい。
この感じに覚えがあった。以前、このような場所に来たことがある。
どうやらここは下水の中らしい。
けっして体に良いとはいえない環境だが、悪臭さえ我慢すれば呼吸は可能だった。

「いったい、どうなってるんだ？」

落ち着いて思い出してみる。
たしか、ついさっきまで、僕は、まなちゃんのお尻の中にいた。
彼女の直腸の中で、ぬくぬくと、まったりとした時間を過ごしていた。
それが一転して今の状況にある。
その間、数分。いや、核心部分だけなら数秒間だろう。
そこで何があったのか。
たぶん、こういう状況だったのではないか。

まなちゃんはトイレに行った。ふつうにトイレ本来の用を足すためだ。
僕が彼女のお尻の中に居ても、普段どおりなら、オシッコの場合は何も問題ない。
（トイレに行くときから戻るときまで、中に居る僕が気付かないことすらある。）
たとえウンコの場合でも、彼女は巧みに自らの直腸壁を操り、排泄物と僕を選り
分けて、排泄物のみを肛門から出す技を身につけている。
ただし、それは、彼女のお尻の中に僕が居ることを彼女自身が意識していればの
話である。
たぶん、さっきの彼女は、僕の存在を忘れていたのではないだろうか。
彼女は、先客が居ないことを確かめてトイレの個室に入り、ドアをロックし、
水洗の和式便器に跨ると、スカートをたくし上げ、ぱんつを下ろすのもそこそこに、
便器の上にしゃがみ込み、括約筋を緩め、下腹部に少し力を入れる。
それと同時に、乙女の常識とでも言うか、「聴いたらコロスわよの定理」とでも
言おうか、音を誤魔化すために、やたらと水洗コックを操作しムダ水を大量に流す。
これらの一連の動作を行う中で、もし、その瞬間、彼女が僕の存在を忘れていたら、
概ねこのような事態に発展するのではないかと思われる。

水洗トイレは、便器の内部構造と水流により、ウンコやトイレットペーパーを
バラバラに砕いて流してしまう。便器を詰まらせないための工夫だ。
便器の種類と調整具合と設置条件によって破壊力は異なるだろうが、僕がその中に
巻き込まれたのだとすれば、生身のままにもかかわらず大怪我を負わなかったのは
奇跡に近い。本当に大丈夫かどうかはよく調べてみなければわからないが、痛みさえ
我慢すれば肢体は自由に動くので、青アザとタンコブ程度で済んでいるはずだ。

∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽

一方、まなちゃんは…
彼女はトイレの和式便器に跨り、しゃがんだ格好のまま、お尻丸出しで呆然としていた。
「あっ！」と声をあげた時には、彼女の大切なコビトは便器の中に消えた後だった。
お尻の穴から何かがプニュッと出た感触を覚えていた。
小さな何かが便器の中を猛スピードで流れていくのを視界の隅でたしかに見ていた。
一瞬、悲鳴が聞こえたような気もする。
テレパシーで呼びかけてみたが、何度やっても返事は無かった。
お尻の中に意識を集中してみたが、何の気配も感じなかった。

「あらら～　やっちゃったよぉ！」

大失敗だった。
気をつけていたつもりだったが、少しだけ油断してしまった。
今度はもっと注意しようと思った。
ショーツを下ろす前に、お尻の中のコビトを隔離しておく癖をつけようと思った。
だが、反省しても後の祭りだった。

まなちゃんは、ふと幼い頃のことを思い出していた。
それは、似たような失敗をした苦い記憶。
大事にしていたオモチャの指輪を間違ってトイレに流してしまったのだった。
あの時は本当に悲しかった。一日中泣いた。夜まで泣いた。寝つくまで泣いた。
だけど、今度のことは、それほど悲しくない。
やっくんは、かけがえのない大事な人だ。心配じゃないと言えば嘘になる。
でも平気だ。あたしは、やっくんを心から信頼している。
流れた指輪は二度と戻ってこないが、やっくんは何とかして必ず帰ってくる。
今までもそうだった。これからもそうに決まっている。
やっくんは、あたしのところに帰ってくる。

「そうだよね。やっくんのことだから、大丈夫だよね。」

まなちゃんは、自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
そして、何事も無かったかのように用を足し、後始末をして
もう一度便器のコックをひねった。

「ごめんね。やっくん。オシッコ流れていくかも…」

∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽

さて、僕はというと、もちろんこのまま汚水に浸かっているつもりはなく、
とにかく出口を探して行動を開始していた。

（まなちゃん、心配してるだろうな。）

再び確認するが、自分が今居る場所は下水管の中のようである。光は無く真っ暗だった。
もし、ここが、田舎によくある簡易水洗トイレの浄化槽の中だったら出口が無いので
僕の能力をもってしても脱出は難しかっただろうが、幸いにも、ここは普通の下水道が
整備されているらしい。ならば、比較的楽に脱出することができるはずだ。

（それにしても、まなちゃん、たくさん流したなぁ。）

僕はトイレの水と一緒に、かなり遠くまで流されてしまったように思う。
今も、ゆっくりと下流に流され続けている。
そして、時々強い流れが押し寄せてくる。誰かがまたトイレを使っているのだろうか。
だとしたら、この水の中にはウンコやオシッコもたくさん混じっているに違いない。
こんな場所に長居は無用。早く脱出したい。
とはいえ、どうするのがよいか。
このまま流されながら出口を探してもよいが、どこまで流されたら脱出できるかわから
ないし、下水管が合流して太くなってくると大型の敵も多くなる。
ドブネズミは危険だし、運悪くイタチにでも出会ったら生身のままではすぐに殺されて
しまう。変身すればやり過ごせなくもないが、出来ればそのような面倒は避けたい。
少し考えて、僕は、下水管を遡ることに決めた。
しかし、ここで困るのが下水管の形状である。この下水管の断面は丸い形で、下半分
には水が流れている。つまり、水から出て普通に歩ける場所が無いのだ。
ここを上流に向けて進もうとすれば、水の中を行くことになるが、流れに逆らって泳い
だり歩いたりするのは、体力を温存する意味から避けるべきだし、時々襲ってくる強い
流れには対抗できない。
どうしても水から出たいなら、重力に逆らって、下水管の壁にへばりついて真横になり
ながら歩くか、天井に逆さまにぶら下がって歩くしかない。その上、僕は持っていた
ペンライトをどこかに無くしてしまったので暗闇の中を進まなければならない。
もちろん、人間の姿のままではこんな芸当は出来ないので、こういった場所で活動し
やすく、しかも生命力抜群なアレに変身することにした。

『しびびっ』

これで、どんな場所でもスイスイ歩けるし、脂ぎった体は水をよく弾く。
まなちゃんと付き合っていると、こういう事態にも慣れてしまったので、
僕にとってはアレに変身することなど何の抵抗も無い。
それはよしとして、変身して格段に機動力がアップしたものの、やはり道のりは
容易なものではない。今までどれくらいの距離を流されて来たのか良くわからないし、
下水道を下るなら一本道だが、遡るとなれば、途中、いくつもの分かれ道に出会う。
冷たい水がときおりドッと流れてくる下水管は、たぶんトイレにつながっている。
そちらへ進むのは気分的にも嫌だし、最も上流の細い管の中に居るときに誰かがトイレ
を使えば、いかにアレに変身していても押し流されてしまうだろう。
まず進むべき道は、暖かい水が流れてくる方だ。
あとは、カンをたよりにするしかない。ここぞと思う方向へ進んでいく。
やがて、下水管は突き当たり、そこから上に垂直に延びていた。

（よし、ここを登るぞ。）

さすがに垂直の登りは幾分きついが、アレに変身していればお茶の子だ。
１メートルほど登ったところで管は複雑な構造へと変わった。
下水の臭いを上に通さず、しかも水の流れる音が静かになるように、
水周り用品のメーカーが工夫に工夫を重ねた形である。
それがあるということは、出口が近いということを示していた。
ここからは、いったん水に潜って、その複雑な構造をくぐり抜けるしかない。
何度か挑戦し、やっと僕はその水中迷路から向こう側へ抜け出すことが出来た。
上に明かりが見える。何かの排水口らしい。
排水口の蓋の隙間からそっと顔を出して様子をうかがう。誰も居ないようだ。
僕は排水口から上へ抜け出した。
妙に広い場所だと思っていたが…
湯気に霞んだ室内。足元は明るいベージュ色の陶器のタイルで覆われている。
そこは大きなお風呂場だった。
これだけ大きいということは、たぶん、御知山野外活動センターの大浴場だ。
この近所ではそれ以外ないはずだ。下水道からの帰還、成功である。
あとは、変身し直して空でも飛んで、まなちゃんの居場所を探せばよい。

（ん？　誰か来る？）

人の声が聞こえてきた。だんだん近づいてくる。
かなり大勢の声だ。キャーキャー黄色い声。女の子の集団らしい。

（やばい、風呂に入って来るみたいだ。）

とにかく、どこかに隠れなければならない。
慌てて走る。走りながら、視界の横の方にチラッと動くものが見えた。
僕の姿が、壁の鏡に映っていた。そこで、あらためて自分の姿を思い出す。
そうだ。僕が今変身しているアレは、たいていの人間に酷く嫌われる。
その生き物を見つけ次第、スリッパや丸めた新聞紙で叩き潰そうとする人も少なくない。
今僕が居る場所。明るいベージュ色のタイルの上で、真っ黒なアレの姿は特に目立つ。
この場は、人間の姿に戻って裸のままで居たほうが見つかりにくいだろう。
人間の肌色は、ここのタイルの色に近いので保護色になって目立たないはずだ。

僕が人間の姿に戻ると同時に、浴室に女の子の集団がなだれ込んできた。
入って来たのは、たぶん、まなちゃんと一緒のハイキング＆なんとかツアーに参加
している娘たちだ。遠慮の無い小学生の集団が素っ裸でじゃれあっている。
そして、あろうことか、まっすぐ僕の方へ向かってくる。

（なにっ！？）

『ドドドドドドドドドドーーーーーーーーーー』

（うわっ、ぎぇ、ひぇっ）

たくさんの女の子たちの巨大な足を全力でかわす。
踏みつけられたらタダでは済まない。

『ドタドタ、ドドーっ』

（どわっ、ぎゃひっ！）

困ったことに湯気でよく見えない。
どこから足が飛んでくるかわからない。

『チョィっ』

（どひぇー！？）

少し引っ掛けられてしまった。
５センチのコビトの僕にとっては超大型ダンプカーに接触したようなもの。
たまらず吹っ飛ばされて転んだ。
立ち上がる間もなく次の足が襲ってくる。後から、後から、どんどん来る。

（うわわーっ！！！）

僕の体は硬直し、それ以上動けなかった。
動けないまま本能的に自分に襲いかかるモノを見てしまう。

（ひっ！　しぬーっ！！！）

女子児童の集団が、一糸まとわぬ姿で、次々と僕の上を跨いで越えていく。
たくさんの巨大な足が僕の周りのタイルを踏みしめて行く音がする。

十数秒後…
僕は風呂場のタイルの上で仰向けになってヒクついていた。
この時点では、まだ、ストーリーを続けることが出来そうだ。
よかった。

言うまでもなく、それで安全になったわけではない。
女の子たちは、思い思いに洗い場を確保してお湯をかぶったりしている。
一人の娘が浴びたお湯が勢い余って僕の方に押し寄せてきた。

（おっと！）

洗面器から流れたお湯でも、僕にとっては小型の津波だ。
下半身をとられそうになる。

（まずいな。流されたら排水口に落ちてしまうぞ。）

浴室の真ん中に居るのはあぶない。
流されるだけでなく、踏まれる危険もある。
僕は、次々に襲ってくる津波に踏ん張りつつ、壁際まで移動した。
しかし、そこでも、津波は容赦なく襲ってくる。このまま床に居るのは危険だ。

（そうだ。津波には高台だ。高いところへ逃げよう。）

ここで、注意すべきことがある。
間違っても風呂イスの上に登ってはいけない。どんな目に遭うか決まっている。

（よし。湯船の縁に上ろう。）

さっそく行動に移る。
つるつるで手がかりの無い壁を登るのは人間の姿のままでは無理だ。
かといって、アレに変身すれば、明るい色のタイルの中で黒い色が目立ってしまい、
女の子たちに発見されてしまう恐れがある。
こういうときは…

『しびびっ』

ヤモリに変身した。
これなら壁登りはお手のもので、保護色の能力もある程度持っている。
僕は素早く変身し、湯船の壁をよじ登り、またすばやく変身を解いて元の姿に戻った。
そして湯船の縁に立って周りを見回し、安全を確認した。
さし当たっては、それほどの危険は無いようだ。
湯煙でぼーっと霞んだ中に、素っ裸の女の子たちがたくさん居るだけだ。
そう言う僕も素っ裸だった。まなちゃんの中に入れられたときから服は着ていない。
図らずもお風呂にはもっともふさわしい格好だった。

（それにしても、壮観だなぁ。）

入浴中の女の子たちは総勢３０人くらいは居るだろうか。しかも、児童といっても、
小学校高学年ともなれば体格的には大人とたいして変わらないほど大きい。
さっきまであれほど広く感じていた浴場が、今は狭く感じるほどだった。
しかし、彼女たちは体格的には大人でも、よく見ればその体つきには、まだまだ
子供っぽさが残る。胸もこれから成長する。膨らみかけの発達初期段階の娘もいれば、
まったくの平面の娘もいた。

何はともあれ、これで、一息つける。

しかし、それも束の間だった。
僕の周りが急に薄暗くなった。

（何だろう？）

上に目を向ける。

『どすん！』

「むぎゃっ！！！」

僕の上から何かがのしかかってきた。それは天井のように巨大だった。
その、ほんの一瞬、僕の目に映ったもの。
それが何であるかを僕の脳が分析し終えたのは、僕が完全に下敷きになった後だった。
それは人の臀部だった。今まさに座ろうとしている女の子のお尻を下から見たのだった。
僕に避ける時間は与えられず、一瞬でその巨大な尻の下に敷かれてしまった。

（うぎゅぅ…くっ…苦…）

湯船の縁に敷き詰められたタイルと裸の女の子のお尻との間に挟み込まれた僕。
陶製のタイルの非情なまでの硬さに比べれば、僕を下敷きにしているお尻は
硬い岩ではなく、幾分かの弾力を持っていた。
それに、幸いにも、ちょうど僕の体がお尻の谷間に挟まれる格好になったので、
すぐに潰されることはなかった。
しかし、コビトにとってその圧力は強大だ。脱出はおろか、身じろぎすら出来ない。

仰向けに倒れた僕の体の上に座って、この娘は何をしているのだろうか。
僕は頭まで完全に彼女の下敷きになっているので、話し声などは全く聞こえない。
彼女は時々わずかに腰を浮かすが、一気に脱出できるほど僕の体は自由にならない。
それどころか、もしも彼女が座る位置がずれて、僕の上にこの娘の体重がまともに
かかってきたら、このまま彼女のお尻の桃の下でプチッと潰されてしまうかもしれない。
そうならないにしても、小さな僕の存在をこの娘の敏感な部分が感じ取ってしまったら、
どうだろう。湯気で視界の悪い中、ジタバタもがいている小さな生き物を見て、それが
人間だと思うだろうか。まちがいなく、虫か何かだと思い込むに違いない。
まわりの女の子たちと一緒に黄色い悲鳴をあげながら、僕を叩き潰して排水口へ流して
しまうのがオチだ。

とにかく、変身して身の安全を確保しよう。
ここで、何に変身するかは重要な選択だ。今の僕のように硬いタイルに強い力で押し
付けられている場合は、ガラスなどのワレモノに変身するのは避けたい。
得意のビー玉なら簡単には割れないだろうが、万が一にでも割れたら僕はどうなって
しまうのかわからないし、割れたガラスの切り口で、この娘の大切なところを怪我でも
させてしまっては申し訳ない。
同じ理由で、硬くて尖った部分があるものとか、刃物とか、刺激物とか、とにかく、
素肌に触れると危険なものに変身するのはだめだ。
それから、ここは風呂場だから、水に濡れて溶けたり壊れたり変質したりするものも
だめだ。もちろん、お尻で簡単に潰されてしまうようなヤワなものは論外だ。
また、人間の姿と形が違いすぎるものも良くない。
急に形が変われば彼女に気付かれてしまう恐れがある。

変身しても彼女に気付かれず、安全なもの…
とりあえず、僕と同じ大きさと形のゴム人形がよいだろう。

『しぽっ…ぽっ…』
（あれ？　もう一度！）
『ぽっ…ぽぽっ…』
（んんん？　どうしたんだ？　変身できないぞ！？）

どうしたことだろうか。変身できない。
ほんの数分前までは問題なく変身できていたのに、これはどうなっているのか？
何度も何度も試してみたが、だめだった。精神力をムダに消耗しただけだ。
なんだか、いつもと感じが違う。
変身のために念じたエネルギーが自分の中に溜まらないで飛び散ってしまったような…
体調不良だろうか。それとも、まなちゃんと離れているからか？
いや、これまでも、彼女と離れ離れになることは珍しくなかった。
ときどき、まなちゃんに内緒で変身して遠出して、そのたび彼女に怒られたし。
風邪をこじらせたことも、ひどく食あたりしたこともある。
だが、変身できなくなったのは、これが初めてだ。

（うっわー…　もしかして、マジでピンチ？）

変身を試し続けて精神力をこれ以上消耗するのは逆に命取りになる。
しかし、このままでは、にっちもさっちもいかない。
変身して安全を確保できないとなれば、このまま彼女のお尻の下で耐え抜いて、
彼女がどいてくれるのを待つか、何とかして脱出を試みるか、二択である。
僕が行動しても行動しなくても、彼女のお尻の動き一つで、潰されるときは潰される。
だったら、積極的に行こう。危険地帯に留まる時間は短いほうが吉である。
僕は、彼女のお尻の圧力が弱まる隙を狙って不自由な身をよじりながら、
少しずつ移動して脱出を試みることにした。

彼女に気付かれないように、ゆっくりと、慎重に、慎重に…
彼女の腰の動きにも注意して。お尻の谷間のラインからはみ出さないように。
もし、うっかり谷間からはみ出せば潰されてしまう。

それにしても、お尻の下にこれだけの隙間が出来るということは、この娘の体型は、
かなりの痩せ型と見た。もし、太っていたら、お尻のどの部分に敷かれたとしても、
脂肪が多くて柔らかい肉にペッタリと密着されて、僕は少しも動くことができなかった
だろうし、隙間も無くて呼吸すらできなかったと思う。
それに対して、この娘のように痩せ型のお尻は脂肪が少なく固めなので、お尻の下に
敷かれたとき、今の僕のように谷間にうまくはまればよいが、運悪く骨盤の下あたりに
敷かれたら圧力が集中しているので、太った重いお尻よりむしろ危険かもしれない。

彼女の巨大桃と格闘しながら、じわじわと体をずらしていき、ようやく首から上だけが
外に出て動かせるようになった。
一方、僕の胸から下は、ぎっちり下敷きになっていて、どうにも抜けそうにない。

（痛てっ？）

僕の顔に、チクッと何かが触れた。それは、僕の上に座っている女の子の産毛だった。
見ると、僕の顔の上に、お尻よりは明らかに小さい割れ目があった。
小さいといっても、それは僕から見れば十分大きい。
その割れ目は、ちょうど僕の腰のあたりから始まり僕の正面を通って、
上の方に向かって狭まりながら真っ直ぐ延びている。
ぷっくりとした丘の中心がスジ状に落ち込んで、狭い谷間を形作っていた。

女の子の大切な部分だった。かけ湯で温められて、ほんのりピンク色になっている。
僕は、彼女のお尻のほうに出るものと思っていたが、どうやら方向を勘違いしていた
ようだ。下敷きになる前に見えたのが一瞬だったから無理もない。

（うをっ！？）

彼女が腰をもじもじさせた。
この割れ目はお尻よりは小さいが、その奥にある口は、肛門よりも緩くて…
僕の上半身は割れ目の間にクニュクニュと押し付けられ、浮き沈みした。
お尻の真下と比べて、圧力が少ない分だけ、その割れ目は柔らかく感じた。

ところで、位置関係が少し変わり、僕の頭が解放されたので、彼女たちの話し声が
ハッキリと聞こえるようになっていた。

「はるかちゃん、そんなとこ座って何してんの？　お風呂、入らないの？」

どうやら、僕を尻の下に敷いているのが「はるかちゃん」らしい。

「うん。足から少しずつ入ろうと思ってるの。
　急にお湯に入るのは体に良くないって聞いたから。」

「でも、お風呂のふちなんかに座るときは、
　そんなふうにアソコを下にくっつけて座るのは良くないよ。」

「そうそう。はるかちゃん。大事なところにバイキンが入っちゃうかも。」

今度は別の娘が、はるかちゃんに注意する。

（バイキンだけではないぞ。キミは気付いていないだろうが、
　そこには、コビトなんかも居たりするんだ。もしアソコに
　バイキンだけでなくコビトまで入ってしまったら、もっと大変なことになるんだぞ。）
　※無論、大変なことになるのは、どちらかといえばコビトの方である。

「えっ！　バイキン？」

はるかちゃんが不安げに聞き返す。

「あ。うちのお母さんも言ってた。えーっと…何だったかな、
　その、バイキンのせいで、なんとか炎になった人がいて大変だったって。」

「うそっ！　やだっ！！　どうしよー。
　そう言われると、なんだかアソコがムズムズするような気がしてきたよ！？」

ムズムズするのはバイキンのせいではなく、僕がそこに敷かれているせいだ。

はるかちゃんは大急ぎで湯船の縁から腰を浮かした。
同時に僕の体は巨大なお尻の拘束から開放される。
そして、彼女はそのまま急いで湯船の中に入った。

（助かったー）

と思っていた所、いきなり突き飛ばされた。比喩でなく、本当に飛んだ。

（どわっ！？）
『ぽちゃん』

僕は飛んで湯船の中に落ちてしまった。
どうやら、はるかちゃんが湯船に入るとき、手の指先が僕に当たってしまったらしい。
彼女は、一匹のコビトを弾き飛ばしてしまったことになど気付きもしない。

「ぷわっ！　がほっ…」

湯船に突き落とされてお湯の中で浮き沈みしていた僕は、続いて彼女の体が起こした
大きな渦の中に巻き込まれた。渦に流され、もがきながら沖へ沖へと運ばれる。
普通の家庭の浴槽でもコビトにとっては競泳用プールのような広さがある。
それなのに、この大浴場の湯船に落とされて沖まで運ばれてしまっては、
泳いで岸まで辿り着くのも大変なことだ。
いっそ、魚に変身しようかと思ったが、このお湯の熱さでは、たいていの魚は
すぐに半煮えになってしまう。それ以前の問題として、
忘れていたが、僕は変身できなくなっていたのだった。
しかし、もしかすると…と思って試してみた。いちばん慣れた「ビー玉」に変身！

『しぽっ…ぷしゅ～』

やはり、ムダにエネルギーを消費しただけだった。

湯船の中には、たくさんの女の子たちが入っていて、はしゃぎまくっている。
広くてプールのようなお風呂、大勢の友達、日常と離れた環境。
ここに来て、おとなしくしていられる子供はめったに居ないだろう。

僕の体は、抗う力も尽きて、お湯の中でくるくるとかき回される。
あるときは渦に流され、あるときは膝蹴りをくらい、あるときは尻に敷かれて、
湯船の底深くまで沈められ、必死に泳いで浮かび上がろうとする所をまた踏まれる。

《だれか！　たすけてくれ～！！！》

無駄だとわかっているが、テレパシーで呼びかけてみた。
案の定、返事はない。

熱いお湯の中で激しくもがき、コビトの体温は一瞬にして上がる。
たぶん、僕の体温はもう４２度の生存限界に達している。

《たすけて…》

しだいに意識が遠のく。

《まなちゃん………》

そうつぶやいたのを最後に、僕の意識はブラックアウトした。

∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽

「たすけてー…死ぬぅ………う……………お？」

ひんやりとした感触が体を覆っていた。
うっすらと開いた目で周囲を見回す。
ぼやけた視界の中に大きな瞳があった。まっすぐ僕を見つめる一対の瞳。
しだいに意識がはっきりしてくる。

「あ…　まな…ちゃん…」

《やっくん。気がついた？》

「うぅー、なんとか…」

そう声を出しかけてふと気付いた。
まなちゃんは、僕を目の前にしているのに、わざわざテレパシーで話している。
誰かに聞かれないようにという配慮だとわかったので、僕も合わせる。

《ああ、助かったのか。
　僕が溺れてたの、まなちゃんが助けてくれたんだね。ありがとう。》

《そうだよ。びっくりしたよ、見つけたときは。
　お風呂の底のほうから、やっくんの声がするんだもん。お化けかと思っちゃった。》

《いや、たしかに、あぶなく幽霊になるところだったかも。》

《そうだよね。ごめんね、やっくん。トイレに流しちゃって。》

《あ…　ああ。》

完全に思い出した。そうだ。今回の発端はそれだった。

《どう？　だいじょうぶ？　痛い所とかない？》

まだ重苦しい頭をプルプル振って僕は起き上がった。
そして、自分の体に異常がないか点検する。
軽い打ち身や捻挫、かすり傷以外は特に何も問題ないようだ。

《平気みたいだ。》

《よかったー。ごめんね。本当にごめんね。》

平謝りする彼女は、これで昨日から二度目だ。

《いや、まあ、こうして助かったんだし。　だけど、これからは…》

僕がそう言いかけたところで、まなちゃんの表情が変わった。
心配顔の子羊から怒りの鬼の顔へ。

《さてと。いっぱい謝ったから、トイレで失敗した事はこれでおしまいね。》

《あ、だけど、まなちゃん…》

《ここからは、裁判の時間だからね。》

《え？　なに？　さいばん？》

まなちゃんの「御意見無用」的な態度。
これはヤバい方向に行っているのではないか。

《それでは被告人に質問です。
　やっくん、なんでお風呂場なんかに居たの？》

《へ？　被告って…》

《ごまかさないで答えて！　なんで、あんなところに居たの？》

《それは、えーっと…
　まず、トイレに流されただろ。
　その後、戻って来ようとして偶然…っていうか、
　僕って、まなちゃんの中に居たときからずっと裸のままだっただろ？
　冷たい水が嫌だったから、暖かい方に進んで行ったら、あそこに出ちゃって…》

《それだけじゃないよね？　ほかに何か理由があるでしょ？》

《何かって？》

男である僕が女風呂に入り込むのは一般道徳に照らしても褒められることではないが、
まなちゃんの剣幕は、それだけでは説明できないくらい激しい。

《やっくん、わざと女の子用のお風呂に行ったんじゃないの？》

《え？　そんなこと、ないよ！　ほんと。偶然だって！》

《ふぅん…　まあ、いいわ。
　それで？　あそこで何してたの？　どうしてすぐに出なかったの？》

《ああ。すぐに逃げ出そうと思ったよ。
　でも、出口を探してたら、女の子がいっぱい入ってきて…》

《で？　やっくん、その子たちの裸、いっぱい見てたんだね？》

《いや、でも、それも偶然…》

まなちゃんが何を怒っているのか、真の理由がわかった。

《見たのよねぇ？》

《ほら、あれ、湯気でさ、よく見えなかったよ。　本当だよ！》

《やっぱり見たんじゃないのっ！
　あたしじゃなくて、ほかの子の裸をっ！
　くやしー！　んもう、許さないんだから！》

《まなちゃん。落ち着こう。　ね？　ね？》

《始めからやり直しだからね。
　やっくんなんか、もう一度トイレに流してやる！》

怒りのエネルギーは彼女の中で溢れ返っている。
しかし、大声を出して怒鳴れない。
テレパシーをぶつけるだけで我慢しなければならない。
そのイライラが、彼女の怒りをさらに増幅する。
ヒステリックで重くて刺々しいテレパシー攻撃を、僕は一方的に受けとめ続けた。

「河合さん。河合まなさん。どこ？」

誰かが来た。まなちゃんを呼んでいる。

「はーい。」

まなちゃんは返事をすると同時に、僕をテレポートして隠した。
その後、彼女は暇があるごとに自らのお尻の中に向けてお説教テレパシーを発信した。
今度は僕が謝りまくる番だった。
怒り沸騰の彼女をなだめる仕事でその日は終わった。

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話は変わるが、後日、あらためて「変身」を試してみたら、すんなりと変身することが
出来た。いろいろと条件を変えて試してみたが、あの時のように「変身できなくなる」
ことは無かった。いつまた再発するか、わからないのは不安なので、原因を突き止めて
おきたかったのだが…

∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽

「はーい。それでは１班から順番に出発してください。」

最終日の朝、みんなは野外活動センターの前の広場に整列していた。
例によって「寄り道するな」だの「足元に気をつけろ」だの、
注意事項を長々と聞かされた後、ようやくハイキングの開始となった。
一つの班は、６～８人ほどの児童と、引率の先生一人で構成されている。
まだ秋は始まったばかりで気温も高いが、みんなの服装は長袖に長ズボンだった。
普段、街中に住んでいるとわからないが、山には蚊やブヨなどの吸血虫が居るし、
ドクガやその幼虫の毛虫、ムカデなどの毒虫もいる。
少し触れただけで酷くかぶれるウルシや、トゲのある植物もたくさんある。
だから、山歩きをするときは、肌の露出は極力避ける必要がある。
といっても、これから行くのは子供用の登山道だから、きちんと念入りに整備されて
いるだろうが、万が一何事かあって、せっかくのハイキングを台無しにしたくはない。

例によって、僕は、まなちゃんのお尻の中に同伴している。
規則正しいリズムの加速度と振動を感じる。
彼女の肛門のあたりを内側から見ていると、
ムニムニとかすかに左右の歪み運動を繰り返している。
まじめに歩いているようだ。

《あーあ。なんだかつまんないなぁ。》

まなちゃんがテレパシーでつぶやいた。

《どうしたんだよ。まなちゃん。
　メインイベントのハイキングが始まったばかりだろ？
　陶器作りや牧場なんかも楽しかったって言ってたじゃないか。》

《そうだけど…
　せっかく山に来たのに、みんなと一列になって進むだけなんだもん。
　ほら、あっちの方にきれいな林があるのに、どんどん通り過ぎていっちゃう。》

《僕には林は見えないなぁ。まなちゃんのお尻の中が見えるだけだよ？》

《もう。やっくんてば。知らないっ！》

《ははっ。ごめんごめん。
　だけど、好きなように寄り道なんかしてたらお昼までに頂上に着けないよ。》

《そうだけど…》

前から何となくそう思っていたのだが、まなちゃんは、どうも集団行動が苦手のようだ。
だが、この手の行事に参加しているのだから仕方がない。
引率の先生方は、言うことをぜんぜん聞かないガキどもの相手をするだけで手一杯だ。
これ以上の洒落た企画や、気のきいたエスコートなど期待するには無理がある。
ましてや、温室育ちの子供を、山で野放しになど出来るわけがない。

《もっと自由時間が欲しいなぁ。
　ね、やっくん。勝手に自由時間にしちゃおうか？》

この世の中では「自主的に」は褒められるが「勝手に」は非難される。

《やめときな。後でどう言い訳するんだよ。》

《道に迷いました…なんてのは？》

《そんなのダメに決まってるだろ。怒られるぞ。》

《そうかなぁ。だったら…》

《景色を眺めるだけでもいいじゃないか。
　それにさ、きれいな林だって、
　近くで見たら思ったより薄汚くて、がっかりするもんだよ。》

《えぇー…》

まなちゃんは不満げだ。

《景色がつまらなかったら、そうだな。
　鳥や蝶なんかを探しながら歩いてもいいし、周りの草や木とか、
　見たこと無いのがいっぱいあるだろ？　そうだ、花とか咲いてないか？》

《見たこと無いけど…見ててもべつに面白くないよ。》

《ああ、そうかもな。
　そういう楽しみは大人にならないとわからないよな。》

《じゃ、やっくんはわかるの？》

《いんや、僕もよくわからん。》

《なーんだ。もう。えらそうなんだから。》

《あはは。まなちゃんも、まだまだ花より団子だよな。》

《なによ。あたし、花は好きだよ！》

《ダンゴは？》

《お団子より苺大福が好き。》

それなりに楽しく会話は続く。
そして、出発から３０分ほどたった頃のこと。

《なぁ、まなちゃん。空気…》

《…え？　なに？》

《なんか、ちょっと息苦しいんだけど。
　ここに酸素を送るの、手抜いてない？》

《…そんなことないよ。…今までどおりだよ。》

《それに、なんか、とっても暑いんだけど。》

《…あたしも…暑いよ。》

ハイキングも往路の中盤にさしかかり、歩く道も少し急になってきている。
エネルギー消費率も多くなってくる。
そして、彼女の体内で必要とする酸素量に呼吸が追いつかなくなって来ている。
その結果、彼女の血液は軽い酸素不足になり、彼女の血液中の酸素を分けて
もらっている僕も同じ状態になってきているということだ。
まなちゃんが息苦しくなれば僕も息苦しくなる。
まさに一心同体。いや、心は関係なかったか。
それから、彼女の体温。
普通、成人の体温を脇の下などで測ると３６度台だが、
子供の場合は少し高く、３７度前後になる。
さらに体の内部である直腸温となると、子供の場合の平均で３８度を超える。
比較的重い運動を長時間続ければ、もっともっと上昇する。
今、僕が居る場所は、まさに彼女の直腸の中で、とどめは湿度１００パーセント。
だから、この場所の不快指数は平常時でも１００であり、
今は彼女の体温が上昇しているから不快指数１００＋αだ。

僕はコビトになってから、その小ささゆえに寒さに弱くなり、暖かい場所が好きに
なった。だから、普段の彼女の直腸内なら、少し蒸し暑い程度で特に不快でもない。
しかし、今は、さすがに暑い。すごく暑い。酸素不足で息も苦しい。極めて不快だ。
このままでは、僕は脱水症状を引き起こして倒れてしまうかもしれない。
脱水といっても大腸の中で水分を吸い尽くされてしまうということではない。
湿度が１００％の場所で脱水症状はおかしいと思うかもしれないが、
湿度が１００％ということは、いくら汗をかいても体温を下げる効果が無いから、
ムダに汗をかき続けることになる。止まることなく、どんどん汗をかく。
そのまま、半日から一日もたてば、体中の血液は水分を失ってドロドロになり、
運が悪ければ、そのまま死ぬ。

僕の方はまだ大丈夫として、まなちゃんはどうだろう。

《まなちゃん。気分とか悪くないか？》

《…ん…まだ…ぜんぜん平気。》

《飲み物は、喉が渇く前に、こまめに飲むんだぞ。》

《…わかってる…もうすぐ頂上みたいだから。》

《そうか。無理するなよ。》

《…ありがと…やっくん。》

さて、僕もまだ死にたくないので、水分を補給しよう。
昨日のように食べ物や飲み物を直腸内に直接テレポートされると大変なことになるので、
今日は、あらかじめ魔法で縮小したお弁当とペットボトルのお茶を用意してある。
汗をたくさんかくと、水分だけでなく塩分も不足するが、お弁当のおかずと調味料で
十分補えるはずだ。

「…んあ～…やっと…着いたぁ～」

まなちゃんの肉声が、くぐもった音となって聞こえてきた。
それと大きく間を置かず、重力の方向が９０度変わった。
さっそく快適な休憩場所でも発見したのだろうか。彼女は仰向けに寝転がったようだ。

テレパシー情報によれば、一緒に行った子供たちの大半は、
彼女と同じようにへたり込んでいるようだが、
中にはさっそく暴れまくっている　“ つわもの ”　も居るらしい。
バッタだ、ヘビだ、トカゲだと、ある者はそれに歓喜して追いまわし、
ある者は、それに恐怖して逃げまわる。

３０分ほど休憩すると、ちょうどお昼。
まなちゃんは友達と一緒に木陰でお弁当。
僕も一緒に、まなちゃんの洞窟の中でヘッドランプの明かりでお弁当。

《やっくん。
　あたしの中にゴミとか散らかしちゃダメだよ。
　カンキョー問題で、今はとっても大変な時代なんだから。》

まなちゃんは、さっき他の子たちと一緒に先生から聞いたそのままの内容を僕に向ける。

《ん？　うんうん。わかってるって。》

《それならいいけど。
　やっくんの右側に落ちてるワリバシの袋、ちゃんと拾っておいてよね。》

《え？　あ、ホントだ。》

言われてそちらを向くと、確かにワリバシの紙袋が落ちている。
お弁当のふたの中に置いたつもりだったが、何かのひょうしにこぼれ落ちてしまった
らしい。それを拾って手の中で丸める。直腸粘膜の水分ですっかり湿っていた。
しかし、それにしても…

《まなちゃん。まさか、これが落ちてるの、わかったのか？》

《わかるよ。それくらい。やっくん、今、拾ったでしょ？》

《うわぁ。マジかよ。》

《うん。目をつむって、おしりの中に気持ちをずっと集中するの。
　でも、感じはわかるけど見えないから、あてずっぽもあるけどね。》

彼女から見れば、対象物の大きさは非常に短い糸くずのようなもの。
その微小な存在を直腸壁の感覚だけで認識したというのか。
となると、ここでの僕の行動も、全て彼女に筒抜けと思ったほうがよいだろう。
強大なパワーを誇りながら、それでいて器用で、しかも極めて繊細。
まなちゃんのお尻、恐るべし。

∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽

昼食を終えて、引き続き自由時間。
里山の頂上は広々とした平らな場所で、中ほどは芝が張られた多目的広場のように、
なっている。そして、その隅には小さな展望台のようなものが建っている。
それに上がってみたが、周囲に木が多いので、あまり見晴らしが良いとは言えない。
…と、まなちゃんは言っている。

子供たちは、それぞれ思い思いの楽しみ方を発見しつつあるようだ。
山の地主の許可をもらっているから、植物や昆虫の採集も可能とのこと。
その中で、まなちゃんは薬草に興味を持ったらしい。
植物に詳しい先生に色々教えてもらったそうだ。
中でもお気に入りは「センブリ」。
見かけは小さな細い葉が茎にぱらぱらと生えた普通の草で目立たないが、秋には茎の
先に、白地に紫の縦縞模様の尖った感じの五弁の花がたくさん咲くので見つけやすい。
その特徴は、何と言っても味の苦さ。これは、ハンパな苦さではない。
知らずにこいつの根っこあたりをむしゃむしゃ食べたりすると、のた打ち回るほど苦い。
これに比べたら、病院などで処方されるような、一般的に「苦い」と言われている
粉薬など「味が無い」に等しい。
まなちゃんは、この薬草を三本ほど持ち帰ることにした。
センブリは乾燥して保存することができ、効能は胃の活性化、食欲増進などであるが、
少なくとも、まなちゃんには必要のない薬だ。
まかり間違って「僕に対する食欲」が増進されてはたまらない。
それを何に使うのか聞いてみたが、彼女いわく「ひ・み・つ」とのことだった。

帰り道は、来た時と別のコースを戻ることになっていた。
山歩きでの帰り道には、より注意が必要だ。
疲れた体で歩けば、注意力が散漫になる。反射神経も筋力も疲労している。
また、登りに比べて下りは足にかかる衝撃が大きいのに加え、
歩くペースも無意識に速くなる。結果、足を挫いたりする率も高くなる。
その点、集団行動であれば、経験豊富な者が先頭を歩くことにより、
安全を確保しつつ、最適な歩行ペースを守ることができるので安心だ。

《まなちゃん。疲れてないか？》

《うん。だいじょうぶ。》

下りはより慎重に歩く必要があるものの、運動量は少ないので、
体温の上昇も少なく、酸素不足にもならない。
彼女の直腸内部はコビトの生命維持になんら問題ない準快適空間になっている。
僕はリラックスして、この珍妙な乗り物の旅を味わっていた。
吊革もシートベルトも無い代わりに、周囲は全てプヨプヨのクッションに包まれた
安全な乗り物だった。
しかし、窓が無く外の様子がわからないし、揺れが大きいので乗り心地は今ひとつ
である。乗り物酔いする人には絶対にお勧めできない。

《あれ？　どうしたんだ？》

それまで一定のリズムで揺れていた乗り物が、ぴたりと止まった。

《なんだか、前の方で騒いでるみたい。》

《騒いでる？》

《なんか、ハチって言ってる。》

《お、ハチか。》

《えーっとね。「ハチがたくさん居るから、みんな戻れ」…だって。》

時々あるトラブルだ。
ハチの巣の近くにうっかり踏み込んでしまったらしいが、
まなちゃんのテレパシーの様子から見て、それほど深刻ではないようだ。
先生の指示に従って、回れ右し、来た道を引き返す。

《ね。ね。やっくん。ちょっと自由行動しちゃおうか。》

《何言ってんだよ。
　一列で歩いてるんだから、抜け出そうったって、すぐにバレるぞ。》

《それがねー　…そうでもないみたい。》

《おいおい。まなちゃん。よせって。》

《・・・・・》

《おいってば。》

《・・・・・》

《こらっ。聞いてんのか？》

《えへへー　もう、抜けちゃったもんね。》

《えへへじゃないだろ。
　まわりのやつら、誰も気付かなかったのかよ。》

《うん。うまくいったね。》

彼女の説明によると、事の成り行きはこうだった。
一行は、とりあえず、登山道の途中で近くにあった神社の所まで引き返した。
山の中にぽつんとある小さな神社で、境内には広場があり、
大勢が集まるにはちょうど良い場所だった。
ここに子供たちを待たせておいて、その間に、一部の先生たちが別の道を探して
そこが安全に通れるかどうかを確認するつもりらしい。
別の道が通れなければ、当然、朝から来た道を全て引き返すことになる。

《みんな、ハチが出た方を見ててね、
　あたしの方を誰も見てなかったから、そっとね…》

《なあ。怒られるぞ。帰ろうよ。》

《ちょっとの間なら大丈夫だよ。
　そんなに遠くに行かないし。声が聞こえる所に居ればいいんだから。》

《だけどなー。》

《もう。やっくん。心配しすぎ！》

それは、心配もする。
保護者としての責任がある。
僕は、まなちゃんのお母さんに彼女のことを頼まれている。
それに、まなちゃんは僕にとって大事な女の子だし可愛いと思っている。
まなちゃんのお母さんが怒ったら、まなちゃん以上に恐そうだとか、
こんな場所で、まなちゃんに何かあったら、中に居る僕も運命共同体だとか、
けっして、そんな次元の話ではなく、あくまで、保護者としての責任が…
そんな事を僕が悶々と考えている間にも、まなちゃんは、神社の奥から沢の方へ
続く道を進んでいった。

《あれ？　なんだろ？》

《ん？　戻る気になったのか？》

《ううん。そうじゃなくて…
　なんか、ブーン、ブーンって音がして………あ！》

《どうした？》

《後ろ見たら、大きな木があってね、
　根元の穴の中から、大きな虫が出てきたよ。
　えーっとね、黄色と黒のシマシマ模様でね、親指くらいの大きさで…》

《おい、まなちゃん、それって、もしかして…》

《なんだか、いっぱい出てきたよ。
　あ、飛んでる。穴のまわり飛んでる。羽が付いてるんだね。》

《たぶん、いや、間違いなく…》

《カチッ、カチッて鳴いてるみたい。
　あ、こっちに来る。ゆっくり飛んでくるよ。》

《ハチだ！　スズメバチだ！
　逃げろ！　まなちゃん！　早くっ！》

《え？》

スズメバチの巣に出会った時の対処として、攻撃してくる前なら、
ハチを刺激しないように、ゆっくりと巣から離れるのが良い。
だが、顎をカチカチ鳴らしているということは、一触即発の構えだ。
それに、彼女のテレパシーによる説明だけでは詳しい状況がわからない。
とにかく今は、全速力で逃げるのが最善策だ。

《走れっ！　逃げるんだよっ！！》

《でも。こっちに行ったら、みんなが居る方と反対…》

《ばかっ！！！　刺されちまうぞっ！！！》

《う、うん。》

僕の剣幕に押されて、彼女は、のそのそと走り出した。

《急げっ！》

ミツバチ類ならば、めったな事では人を刺したりしないが、
この季節、秋のスズメバチ類は特に狂暴だ。
巣に近付いただけで襲ってくる場合も多い。
毎年、何人もの人がスズメバチに襲われて亡くなっている。

現代の多くの子供達はハチの本当の怖さを知らない。
テレビで見たとか図鑑で見たとか、刺されたら痛いとか、その程度の認識だろう。
漫画などでは、ハチに刺されても顔がボコボコに腫れ上がるだけで、まるで危機感が
無い表現がよく使われるが、とんでもない。本当に刺されたら猛烈な痛みはもちろん、
体質にもよるが、刺された所が壊死して痕が残ったり、運が悪ければアレルギー性
ショックで死に至ることも珍しくない。

大きなスズメバチでも一匹だけなら、うまくやれば素手で叩き落すことも出来る。
しかし、スズメバチの怖いところは群れで襲いかかってくることだ。
何十匹ものハチに一斉に来られたら、棒を振り回そうが伝説の剣を振り回そうが
たいした効果は期待できない。あっという間に何ヶ所も刺されて地獄を見ることになる。

余談だが、戦争好きの某国のトップは「銃でハチの群れを撃退できる」と信じている
らしい。いくら高性能の銃を大量に持っていても、たくさんのスズメバチを相手にする
と役立たずだということがわからないのだろうか。東南アジアでの失敗に懲りず中東に
も手を出している。じつに愚かなことだと思う。

《やっくんてば、なんなのよ？》

まなちゃんは、まだ事態がよく飲み込めてないらしい。
だが、これだけ走れば既にスズメバチの防空圏外に出ているはずだし、
テレパシーの様子から、彼女の無事も確認できた。
ゆっくり説明しても差し支えないだろう。

《まなちゃん。　もう大丈夫だろ。》

《………ふぅ…》

彼女が走るのをやめ、その場にしゃがみこんだのがわかった。

《あれがハチだよ。　オオスズメバチだ。》

《そうだったの？》

《そうだよ。刺されたら死ぬこともあるんだ。》

《ふーん。恐いんだねー。》

彼女の反応はあっさりしたものだった。
あまり恐がっているとも思えない口振りである。
さっきは本当に危険な状況だったのだが、真剣さがまるで感じられない。

《もし顔なんか刺されたりしたら、
　ボッコボコに腫れて、二度と元の顔には戻れなくなるんだぞ。》

《え？　うそ…》

《ほら！　まなちゃんの後ろに！！！》

少し脅かしてやろうと思ったのがいけなかった。
女の子が特に気にする「顔」を例えにしたのは、やりすぎだった。

《い…》

《い？》

「…ぃやああああああああああーーーーーーーーーーっ！！！！！！！！！！」

テレパシーではなく、彼女の肉声が僕のいる腸内まで響いてきた。
とんでもない大音量だった。
同時に、加速度の変化を感じた。
急激に持ち上げられる感じ。

「わっ！？」

そして、嵐のように揺れ始めた。
揺れは極端に大きくて強く、いつまでたっても収まらなかった。

《ちょ…》（待って！　まなちゃん！）

そう言いたかったのだが、無理だった。
彼女はパニックを起こして走りだしてしまったらしい。
しかも、今度こそ全速力で。

《ま…ぐっ…な…どげっ…ちゃ…がっ…ん…ごっ…や…ぎゅ…め…》

何度も言うが、まなちゃんのお尻の中には吊革もシートベルトも無い。
僕の体を固定する物は何も無い。
彼女が思いっきり動き回れば、こうなる。

僕の体はピンボールの玉か、シェイカーの中の氷のように、
飛んでは壁に衝突し、跳ね返されてはまた壁に叩きつけられる。
もっとも、その壁は彼女の直腸壁であり、柔らかく弾力に富み、粘膜に覆われている
ので、ちゃんと受身さえとっていれば内部の僕は怪我しないが、僕が自分で姿勢を
コントロールすることは不可能だ。
風に舞う木の葉のように、なるようになるしかない。

（まなちゃん。止まれ！　山道でそんなに走ったら…）

僕の思いは彼女には届かない。
彼女は必死に走る。無我夢中で走る。とにかく走る。
だが、そこは、まだ１１歳の女の子である。エネルギーが尽きるのも早い。
僕は、強い衝撃とともに、重力方向がまた９０度変わるのを感じた。
まなちゃんが転んだらしい。僕が恐れていたことだった。
保護者といいながら、パニックになった彼女を止められなかったコビトの自分が
情けない。しかも、彼女のパニックの原因を作ったのは他ならぬこの僕だ。
彼女にもしものことがあったら…

《おい！　まなちゃん。大丈夫か？
　おいってば。どっか怪我したのか！？》

《ふえぇ…　痛いよぅ…》

彼女のテレパシーが弱々しく聞こえてきた。

転倒した後、上半身を起こしてその場に座り込んでいた彼女を再び横にさせ、
しばらく休ませた。全力での短距離走の後だから彼女は息を切らして苦しいはずだ。
それは、彼女の直腸内に居る僕も非常に息苦しいので間違いない。
そして、僕が指示を出して、彼女の全身の骨や関節などの無事を確認した後、
今度は筋肉を傷めていないか確認する。

《どうだ？　立てるか？》

《うん。》

《歩ける？》

《うーん。大丈夫みたい。全然平気。》

結果、彼女は奇跡的に無傷だった。
転んだ場所に落ち葉が深く積もっていたのが幸いしたらしい。
そこは、ちょうど風が渦を作って吹き溜まりになっている場所だった。

《あー　あー　よかったぁ。本当によかったよぉー》

今度は僕がその場にへたり込む番だった。

パニックの原因は予想通りだった。
彼女の話によれば、ハチに顔を刺されるのが怖かったとのことだ。
女の子にとって死よりも怖い最悪の結果を想像してしまったらしい。
「命よりも顔の方が大切」、「麻薬を使ってでも痩せたい」…ｅｔｃ．
女性の気持ちは、男の僕には永遠にわからない。しかし、わからなかったとしても、
その「自分はわかっていない」ということだけは肝に銘じておかなければならない。
まなちゃんもまた「女性」なのである。
僕は自分の軽率さを心から反省した。

《ごめん。まなちゃん。僕が悪かった。ホントごめん。》

ひたすら謝る僕に対して、彼女は不思議そうだった。

《やっくん、なんでそんなに謝るの？　ちょっとふざけただけなのに。》

《え？　いや、まあ、とにかくゴメン。》

《へんなの。………あっ！》

《え？　「あっ」って、まなちゃん。やっぱりどこか怪我を…》

《思い出した！
　さっきは必死だったから楽しむ暇なんてなかったけど。》

《え？　楽しむ？》

《うん。さっき、あたしが走ってたとき、
　なんか、やっくんが、おしりの中にポコポコ当たって…》

《当たって？》

《なんだか気持ち良かった！》

《おいおい…》

考えてみれば、あの状況は、普段の彼女なら喜びそうな状況だったかもしれない。

《そうだ！
　やっくん、何でだか知らないけど、あたしに謝ってたし、
　今度じっくりとね、同じことしてくれたら許してあげるよ。》

《えーっ。まなちゃん。それは…》

《うふふ。やっくんを入れて、ガタゴト道で自転車なんかに乗ったら…》

《ちょっと勘弁して欲しい気がするんだけど。》

《なぁに。やっくん。嫌なの？　許して欲しくない？》

《うっ…》

今度ばかりは、もとい、今度も僕に選択の余地は無いらしい。

《わかった。してやる。してやるから…》

とにかく、話題を変えよう。

《そうだ。まなちゃん、もう、みんなの所へ帰らなきゃだめだろ。》

《あっ。そうだね。遅くなっちゃったし、怒られちゃうかなぁ。》

《怒られるかもしれないけど、まあ、
　ハチの騒ぎで、みんなとはぐれて、道に迷いました…って言うしかないだろうね。》

《わかった。そうする。
　それでねぇ、やっくん。》

《なんだい。まなちゃん。》

《どっちへ行けば帰れるの？》

《そりゃあ………》

困った。
来た道には興奮したハチが居るので戻れない。
となると、この道をこのまま進んで、なんとか帰らなければならない。

《…行くしかないよね。》

∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽‥∽

《ねえ。やっくん。》

《どうした？》

《あたしたち、本当に帰れるのかなぁ。》

歩くこと２０分。
山の中の道は細い。
細いだけでなく、少し手入れが悪ければ低木が茂って、道かどうかの判別もつきにくく
なる。その上、道が枝分かれしていることも多い。
人間が使う道ではない、いわゆるケモノミチも無数に交差している。
知らない山で、目印になる建物なども見えない所を歩けば、十中八九…

《やっぱり、道に迷っちゃったみたい…》

道草を食ったときの言い訳ではなく、本当に道に迷ってしまった。
思い掛けず、念願だった「自由行動」を楽しむ羽目になってしまった。
それは、山道を当ても無く歩くという、自由でもあり自由でもなし。

《だっ、大丈夫だよ。
　小さな里山だから、もうすぐ誰か人が居るところに出られるって。》

《そうかなぁ。　あ！》

《どうした？　まなちゃん。》

《家だよ。家がある。》

《やったな。そこで道を聞こうよ。》

思ったより早く民家が見つかってよかった。
だが、留守か空き家という可能性もある。

《わぁ。やっくん。なんだか、おしゃれな家だよ。》

《おしゃれって、どんな？》

《どんなって、うーん。なんて言うか………わかんない。》

「…ゥゥゥウウウ、ガウッ！　ガウ！　ガウ！」

「ひゃ！？」

《おっ。犬か。》

太い吠え声が僕の居る場所までハッキリ届いた。
けっこう大きな犬のようである。
犬が居るということは人も居るはずだ。

「ありさん！　ありさん！　よーし、よし。Ｓｉｔ！」

案の定、すぐに住人と思しき人が現れた。
犬はたちまちおとなしくなった。
僕には声がよく聞き取れないが、どうも女性のようだ。

《やっくん。「アリさん」だって。
　犬の名前かな？　大きな犬なのにアリさんなんて、変な名前だね。》

《んー。そういえば昔、アリって名前の
　めちゃくちゃ強いボクサーが居たらしいぞ。それじゃないか？》

《あ、そうかもね。この犬、すっごく大きくて強そうだから。》

犬をなだめたこの家の住人は、次に、突然の来訪者に声をかける。

「あの、何か御用ですか？」

「えっと。ちょっと道に迷っちゃって……………」

まなちゃんと僕がテレパシーで相談しながら住人さんと話をすると不自然になるので、
まなちゃんに全て任せることにした。
彼女の方からテレパシーで僕に呼びかけない限り、僕は黙っている。
ただし、まなちゃんには、住人さんとの会話をテレパシーで同時中継してもらった。
何かあったら僕がすぐにアドバイスするためだ。

「ああ、それでしたら……………」

テレパシーの合間に、まなちゃんと住人さんが話す「生の声」が、かすかに聞こえる。
声の質まではよくわからないが、話し振りからして上品な奥さんかお姉さんといった
感じがする。

《やっくん。オーケーだよ。》

《そうだな。僕もだいたいは覚えたよ。》

帰り道を聞いて最低限の目的は果たせたが、そのままサヨナラというのもなんなので、
お愛想の雑談に突入する。

「おっきい犬だね。　アリ！　アリ！
　あー。知らんぷりだ。
　やっぱり、飼い主さんでないと返事しないのかな。」

「ふふっ。『あり』ではなくて『ありさん』ですから。」

「だから『アリ』じゃないの？」

「ややこしいですけど『さん』も名前のうちなのです。
　だから『ありさん』と呼ばないと反応しないのですよ。」

「へぇ。『ありさん』だったんだ。なんか、変わった名前だね。」

「最初、わたくしの両親が付けた名前は『アリサ』だったのですが…」

この住人さんの話によると、彼女が幼少の頃、「うさぎさん」とか「ねこさん」の
延長で、何にでも「さん」を付けて言う癖があって、犬の「アリサ」も例外ではなく、
「アリサさん」と呼ぼうとしたのだが、幼い子供には言いにくく、結局「ありさん」に
なってしまったそうだ。

「いつも一緒に遊んでいた
　わたくしが『ありさん』『ありさん』と呼んでおりましたので、
　いつのまにか彼女も、それが自分の名前だと思うようになってしまったようですね。」

「彼女って…え？　じゃあ、この犬、女の子？」

「ええ、そうですよ。
　真っ黒で大きいのでオスのイメージが強いのですけどね。」

「そっかー。じゃ、ありさん！　ありさん！　あ☆　しっぽ振った！」

「ところで、先ほどから気になっていたのですが、
　あなたは、お一人ですか？
　もうおひとかた、どなたか別にいらっしゃるような感じがするのですが。」

（ぎくっ…）　←まなちゃん。
（ぎくっ…）　←僕
　※テレパシー中継のため、多少の時間差があります。

「あの、あたし、ひとりだけど。」

「あら？　あなたの体の中から…ですね。
　じつは、わたくし、生き物の『気』のようなものがわかるのです。」

（ぎくぎくっ…）　←まなちゃん。
（ぎくぎくっ…）　←僕
　※テレパシー中継のため、多少の時間差が…

「き、き、寄生虫？　じゃないかなぁ。
　あたし、拾い食いとか、よくするしぃ。あ、あははは…」

まなちゃんは、よほど焦っているらしく、すっかり女の子であることを捨てている。
しかし、ここは、寄生虫ダイエットとでも言って誤魔化すのも手だろうか。

「それにしては変ですよ。
　おなかの中に赤ちゃんがいるような感じなのですが、
　赤ちゃんというよりは…そう。大人の男の人のような…」

「あ、あ…うぅ…」

そこまでピッタリ言い当てられると、もう次の句が出てこない。
誤魔化すのも無理のように思われる。

《まなちゃん。逃げよう。話せば話すほどボロが出そうだぞ。》

《了解！》

「あっ。ああ。もう、こんな時間！
　あたし、そろそろ帰らなくっちゃ。
　それじゃあ、どうも、ありがとうございましたー！」

お辞儀もそこそこに、駆け足でその場を去る。
それを見送る住人さんの視線が僕の所まで届いているような気がする。

《まなちゃん。なんだよあれ？　霊能力者か何かか？》

《わかんないよ。普通の女の子だったもん。》

《女の子？》

《うん。あたしと同じくらいの歳でね。髪の毛がすっごく長くて…》

《ええっ。じゃあ子供？
　あの家の奥さんとかじゃなかったの？
　それにしちゃ、ずいぶん落ち着いた話し方だったじゃないか。》

《あたしも変だなって思ったんだけど。》

《それにしても、ヤバかったな。
　あの人、僕のこと、本当にわかってたみたいだぞ。
　気のせいだと思って忘れてくれるといいんだけどな。》

《それより、あたしは、この後がユウウツだよ。》

《え？　ああ、あれ…な。》

《やっぱ、迷子になったこと、怒られるかな？》

《そうだな。
　すごく心配してるだろうからな。
　怒られるだろうなー。
　まあ、僕も一緒に怒られてやるから安心しな。》

《なによ。
　一緒にって言っても、やっくんはあたしの中なんだから平気でしょ。》

《あ、そだね。こんなときコビトは得だなぁ。》

《やっくん、ずるいよー！》

（でも、先生には怒られないけど、まなちゃんのお母さんには怒られるだろうな。）

《え？　なに？》

《無事に帰れそうだから、ラッキーだなーって言ったんだよ。》

もしも、まなちゃんに何かあったら、僕は彼女のお母さんに合わす顔がなかった。
本当にラッキーだったのだ。

僕が今、生きていられるのは、まなちゃんと彼女のお母さんのおかげだが、
感謝の気持ちとはまったく別の感情として、まなちゃんを守りたいという
気持ちが僕の中で日に日に強くなっていく。

（小さくて頼りない保護者代理だけど、これからもよろしく。）

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